<参考人意見陳述> 戻る

志木市長 穂坂邦夫 氏

2002年11月28日 第155回国会 衆議院憲法調査会地方自治に関する調査小委員会議事録抜粋
                    
[1]会議録抜粋


[1] 会議録抜粋

○穂坂参考人

 それでは最初に、基礎的自治体、市町村の状況あるいはまた現況、あるいはそれぞれ日ごろ基礎的自治体の長として思っておりますことをこの際申し述べたいと思い ます。

 最初に総論というような形で申し上げたいと思うんですが、御承知のように、憲法の九十二条あるいは九十四条、それぞれ基礎的自治体、市町村の行うべき地方自治の本旨、あるい はまたそれぞれ権能等についても定めていただいておるわけでありますが、二つだけいつも思っていることがあるんです。

 一つは、役割分担がさほど明確ではないということです。それぞれ憲法では規定をされていますが、ある意味では法律に丸投げをされている部分がございます。地方は地方の意思で 自由に運営ができる、このように憲法では規定をされていますが、なかなか難しいもので、そういうわけにいきません。一つは、権能を明確にしていただきたい、そんなふうにいつも思っ ています。

 国は国としての権能があり、都道府県は都道府県としての役割があると思うんです。私ども基礎的自治体、市町村は、大変狭い権能ではありますが、それぞれ役割があります。でき るだけ、今後、地方自治体が元気で、そして自由な運営をするためには、まずもってその役割を明確にしていただければなというふうに思っています。

 連邦国家の例を見ますと、それぞ れリストアップされているとも聞いております。できるだけ、今後、先生方のお力で、憲法の趣旨に沿った明確な権能を明示していただければありがたい、こんなふうに思います。

 それともう一つは、その権能に基づいて自由な経営方法、要するに運営方法をさせていただきたいと思っています。私は、市長になりましてまだ一年五カ月です。市議会やあるいは県 議会、それぞれ議長として経験させていただきましたけれども、思った以上に、地方自治体の長に就任いたしまして、まさにはしの上げおろしまですべて法律やあるいは通達やあるい は行政指導でそれらが細かく規定をされている。そういう意味合いでは、ちょっと窮屈だな、そんな率直な感じをいたしております。できれば、法律で最小限の事項を定めるほかは、地 方自治体が自由に運営できるようにお願いをしたいというふうに思っています。

 私なりにその原因等々を考えてみますと、全国約三千二百の自治体があるわけでありますが、結局、国の方では、誤りをしないようにという親心もあるのでしょう。しかし、地方の実感 から見ますと、別に保護者が必要だとは思っていません。

 それぞれ国政に携わるスタッフの皆さんが、できるだけ誤りのないように万全の策を講じよう、こういうような意味合いだと思いますから、至るところすべてが同じように同じ形で、誤り のないようにという、先ほど申し上げましたように、保護者的な感覚でおつくりになっているそれぞれ法律やあるいは通達やあるいは行政指導の中で、地方をある意味では守っているん だともとれるわけでありますが、三千二百の中には一つや二つはそれぞれ踏み越えるところもあるでしょう。

 しかし、そのマイナスよりも、同じような運営をしなければならない、自主性がそこに出てこない、このマイナス面の方が多いのではないか、こんなふうに思っております。できれば、先 ほどの権能でも申し上げましたが、肝心なところ、これらを明確にする、あいまいでない形にする。同時に、三千二百が何も一緒の経営をしなければならないということも考えられません ので、自由さを与えてほしいというふうに思っています。

 レジュメに従いましてお時間の範囲内で申し上げたいと思うんですが、私は、市長に就任しましたときに、どんな職かなという思いもありました。実感も実態もそうでありますが、市長は 明らかに、今の制度はメーヤーの制度でありますが、シティーマネジャーの方がよりぴったりくる。

 実は、ある会合でシティーマネジャーと言いましたら、英語の先生から、市長、間違っち ゃ困りますよ、子供たちに悪い影響がある、メーヤーというふうに正確におっしゃってくださいという話がありました。でも、実態、実感は、市民がオーナーであり私はシティーマネジャーで ある、こんなふうに思い、位置づけています。そして同時に、実務家だなという感じがいたします。マネジャーであり実務家である、こういう実感と実態の中で、今市長を務めさせていただ いております。

 企業的には、私どもの志木市は、六万六千人、九平方キロメートル、百七十三億円の小さい市でありますから、まさに中小企業の独占的サービス業、こうともとらえております。

 市長に就任しましたときに、やはり一つの組織というのはボトムアップが必要だ、職員の新しい感覚を醸成しよう、こんなふうにも思っておりましたけれども、やはり国も県も、国の方が もっと独創的だとは思いますが、県庁も市の方も余り変わりませんで、職員から新しい改革というのはなかなか出てこない。

 それは無理もないと思うんです。二十二歳で、二十年たって四十二、幹部職員として育ってきてはおりますが、少なくとも、すべてが前例主義、こんなふうに位置づけられております し、日常の業務がその範囲でやっておりますので、いきなり新しいものを考えようといったってそう簡単にいかない。

 今、志木市では少しずつ職員も育ってきておりますが、ほとんどがトップダウンという形で、いろいろな改革に取り組んでおります。随分古い昔になりますが、マックス・ウェーバーの官 僚というものなどを読ませていただきましたけれども、やむを得ない、実態は何十年間も同じ前例主義でやってきましたから、少し時間をかけて職員の育成もしていかなければいけない のかな、こんなふうに会社のマネジャーとして考えております。これが一応実感です。

 二つ目でありますが、基礎的自治体の状況の中で、先ほども申し上げましたように、自治体の実感は、住民の意思に基づいて自由に固有的な経営をすることができる、こんなふうに 考えておりましたけれども、そんな実感よりも、むしろ逆じゃないかな、そんな率直な思いもいたします。

 自由な運営や自主的な運営というのは狭められているとも思っています。これ は、地方分権一括法が制定された現状におきましても以前とそう変わっていない、こんな実感がいたします。

 後ほど触れますが、市町村合併、私どもは六万六千、ささやかな市でありますが、一万人以下の小規模自治体等々の問題がありますけれども、これらについても手順が逆ではない のかなという思いも多少いたします。

 先ほど申し上げましたように、それらの不自由さというのは、完璧さを求める国の体質があるのではないかとも思っています。いろいろなところで、ある意味では、完璧さを求める余り形 骸化をしている部分もあります。

 いろいろ議論が分かれるところでありますが、市町村にも教育委員会制度があります。これは、教育の中立性を担保するというのが大きな目的だと思いますが、現実的には、首長が 教育委員を指名し議会にかけるわけでありますが、少なくとも、首長と全く意見の違う教育委員を議会に提案するということはありません。

 ですから、そういう意味合いでは、どこで教育の中立性、もちろん、制度上三名以上でありますか、無所属でなければいけないとか、教育委員は政治的活動をしてはいけないとかとあ りますが、包括的に考えれば、やはり首長の望む教育委員を議会にそれぞれ提案をしていくという形ですから、果たしてそれが機能的にも教育の中立性が担保できているのだろうか、 建前と実態は多少違うな、そんな感じもするわけであります。

 さらに、例えば、学校でのITの授業なんかもありますが、これは小中学校だけではなくて高等学校もあるわけでありますが、ある意味で学校の独自性というものを、教育委員会でも多 少遠慮なさっているんでしょう、余りうちはやりたくないと言えば、中途でお茶を濁しておけばいいという実態もかなりあります。

 私は、やるべきことは、国でも必要なことはきちんとやるべきだとも思っています。首長のそれぞれミスは、公選制でありますので、今、これだけ戦後長く地方というものを支えてきた市 民の皆さんから見れば、もし失敗すれば首長は次の選挙で落とされるわけでありますから、それを覚悟しているとすれば、さっき言ったように、さほど保護者的な感覚は要らないのでは ないかとも思っています。

 とにかく、実感とすれば、基礎的自治体の現状は、本当に非効率的な運営をしなければならない、そんなふうな実感です。

 二番目に、それぞれの役割について申し上げたいと思うんです。

 先ほども総論で申し上げましたが、地方のやるべき仕事というのはそう多くないんです。担うべき仕事というのは、まさに限られた範囲です。担うべき役割は、国とは全く違うという実感 を持っています。国は、国益というものがあるでしょう。あるいは、守秘義務といえども、私ども、もちろんどちらが高いとは言いませんが、守秘義務そのものは、ほとんど市民のプライバ シーに関するもの、これだけだというふうに思っています。あと、ほかに秘密にすべきもの、守るべきものは全くありません。全部公開をしてもいい、そんな気持ちで今運営をしています。

 おかげさまで、埼玉県の情報公開の、いいか悪いかは別として、オンブズマンの皆さんの発表では、志木市は九十六点で第一位でした。中学校へ行きましたら、九十六点市長という ふうに呼ばれましたけれども。

 先ほど申し上げましたように、その一つ、守秘義務だけをとっても、国の権能と市長の権能は明らかに違う、こんなふうに思っています。

 ですから、地方分権も、私は、ある種の手順が違うのではないかという懐疑的な意見もあります。ある埼玉県出身の分権の推進をされる委員の方ともお話をしたわけでありますが、国 の仕事、都道府県の仕事、市町村の仕事を明確にしないで、いっぱいあるうちから小出しにこれは分権だといったって、そんなことが理論的に成り立つだろうかというふうな雑談をしたこ とがあります。

 できるだけ早く国民的なコンセンサスをいただく中で、あいまいなままでの分権から、役割分担を明確にした上での分権をし、地方の主権を認めていただきたい、こんなふ うに思っています。

 今は、機関委任事務という言葉はなくなりました。分権法以来、たしか法定受託事務と呼んでいると思いますが、私は、このことについては全く当然だというふうに思っています。今の 制度上からいえば、国が効率的な観点からも、市町村の自治体を通じて、これは国としてやらなければならない、こういうことはしっかりするべきだと思いますし、当然、強制力があって もいい、できるだけあいまいにしない方がいい。今の法定受託事務、要するに昔の機関委任事務についても、こんなような印象を持っております。

 できるだけ、分権ではなくて、地方の主権という位置づけをし、地方を解放してほしいなという、率直にそんな気持ちがあります。地方分権は、市町村の主権を認める、市町村の役割を 十分定める、その中から、分権、あるいは主権というものが出てくるのではないか、こんなふうに思っています。

 今、地方自治法、あるいは施行令、戦後、ほとんどそのままで推移をしています。できるだけ地方の個性や特性を認めるような、そんな運営があればなというふうにも思います。

 一言で言えば、人口千二百万人の東京都、あるいは二百人の村、これらも同じ自治法を、数の大小や表現の仕方の違いはあります。例えば、副知事を助役と呼んだり、出納長を収 入役と呼んだりすることもありますが、もちろん、地方の力で、収入役を置かないとか助役を置かないということがありますが、しかしその中でも、法条を同じように適用するというのはい かがなものか、これが非効率の原因。

 もちろん、それだけではありません。議会の制度もありますし、予算の立て方の問題もあります。基礎的自治体は中小企業の最たるものですか ら、できれば、公選による議会の設置、首長のあり方、二つぐらいでいいのではないかなという、率直に言って、そんな感じがいたします。

 財源移譲の問題もあります。権限移譲は、先ほど申し上げましたように、役割分担を決めていただければ、これはもう権限移譲はできたものと同じです。財源移譲のことも、私は、明 確な主権を認める中で機械的に税配分をしていただく、このことがいいのではないかというふうに思っています。

 簡単に、ドライに、業務量は定まるわけでありますから、一定の算定方式 で財源の分配を機械的にすることでいいのではないかというふうに思っております。人口も、そのとき、最大の要素になるのではないか、こんなふうにも思っています。

 それぞれの自主財源の差異、私の志木市は財政力は若干低い方でありますが、自主財源の差異についての補正、要するに地方交付税につきましては、今、業務量に応じてもあり ますが、もう最低限の補正をしていただければいい、実感として思います。そういうところから、地方の工夫や地方の努力が生まれると思うんです。

 財源の少ないところは、立派な市役所は要りません。例えば志木市も、もう市役所は雨漏りがする状況になってきました。でも、私は、もし市庁舎がもっともっとだめになった場合に、も う一回今の市庁舎を建てようなんという気はありません。財源に応じた仕方をすればいい、それが個性だというふうにはっきり思っています。豪華できらびやかな市庁舎なんぞは要りま せん。そういう工夫が自然発生的に生まれる、その方がいいのではないかというふうに思っています。

 特に、現行の地方交付税交付金、基準財政収入額と基準財政需要額の差異で交付額を決めるなんというのは、全くナンセンスだと思っています。私は、抜本的に改革をしてほしい、 こんなふうに思っています。そうすれば、例えば、極端な話、無給の村長さん、市長、あるいは無給の議会、これだって生まれると思うんです。金がなければ仕方がない。しかし、もっと ほかに、行政権力の行使と一緒に、基礎的自治体の役割というのはもっともっと大事なものがある、こんなふうに私自身は感じています。

 法定受託等々につきましての費用も機械的に算定すればいいのではないか、こんなふうに思っています。そして税財源、もちろん、六対四を四対六にするとか、あるいはもっと地方の 財源を拡充すべきじゃないかということがありますが、私は、それはそんなに重要視していません。さっき言ったように、業務量に応じて機械的に判断をしていただければいい、そんなに 難しいことではないと思っています。

 ただ、税配分の移譲については、単純さと透明性の高いことが必要だと思うんです。市民の皆さんも、交付税の配分方法、なかなかわからないんです。ですから、もっと単純明快で、 透明性が高くて、あっさりしたものにしていただければよろしいのではないか、こんなふうに思っています。

 三番目の、基礎的自治体の意義と経営でありますが、先ほど申し上げましたように、私どもの日本が、戦後のあの敗戦から、民主国家に生まれ変わりました。そのときに、憲法がで き、地方自治法もそれに引き続いてできました。あの混乱期には、あるいは地方自治というのはどういうものかわからなかった時代には、今の自治法等々の役割というのは最も大事で あったのかもしれません。

 しかし、もう市町村の市民は十分に経験を積んでいます。何十年間も同じ法律が同じように正しいとは思っていないんです。その役割はもう既に終わっているのではないか、こんな感 じがしておりまして、何度も何度も言って恐縮ですが、国の関与をある意味では徹底して排除することも新しい時代の流れではないか、こんなふうに、時代の変化とともに考えておりま す。

 公権力のささやかな行使も、市町村に課せられた大きな仕事の一つです。しかし同時に、もっと大切なことは、コミュニティー、地域社会を通じて、私たち市民が、隣人を愛するという 心、お互いに助け合うという心、あるいはまた、自然を守っていこう、環境を大事にしていこう、人と人とが触れ合って、手を握り合って、そして助け合うという、私は、基礎的自治体には そういう大きな使命と責務がある、こんなふうに思っております。

 さらに、国策というのもあるでしょう。それらを国民的なコンセンサス、特に国会は、まさに私たち国民の最大の立法機関であり、その方向を定めるところでありますから、その定めを国 民的なコンセンサスというふうに受け取るならば、国で決めた理念や大切さを、実体的に市町村は市民と一緒に考え、その方向で一つの地域社会をつくっていく、このことも私は大事だ というふうに思っています。国と地方は全然違う、お互いが違うものを見ている、そういうことではない、こんなふうにも思っています。

 よく議会等々でも話が出るんですが、私は、地方の基礎的自治体等々を見ますと、国で考えているように政党政治が機能しているとは思っておりません。市民の皆さんも、政党よりは むしろ人との触れ合いを大事にする、たまたまその人がどこかのところに所属をしている、そんな感じがして仕方がないんです。

 日本はまだ、そういう意味合いでは政党政治が成熟していないという言い方もあるでしょうし、あるいは、好きなことを言わせていただければ、地方自治体、地方の行政運営にはイデ オロギーは必要ない、行政運営上は必要ない、こんなふうにも思っております。

 私たちは、自然や文化を守っていく、お互いが手をとり合っていく、お互いが慈しみ合う、そういう地域社会をつくっていく、そのことが国を愛していく、そういうものにきっとつながってい く、こんなふうに国とは違った意味での自負心を持っています。基礎的自治体の役割というものも、この際もう一度考えていただければありがたいというふうに思っています。

 私たちは、先ほど申し上げましたように、公選という責任のとり方があります。できるだけ今後、自己責任は地方がきちんととる、こういう風土をこれから私たちはつくっていかなければ なりませんし、そのためには多様な運営形態を担保していただきたい、重ねて申し上げる次第です。

 こんなことを言うとしかられますが、国の財政が、私は国会議員じゃありませんのでよくわかりませんが、八十三兆円程度とすれば、地方自治体、都道府県と市町村の予算は百十二 兆円というふうに聞いております。新しい効率的な運営をする、合理的な運営をしていく、三割ぐらいカットすれば三十兆円も四十兆円も、まだまだほかに使うべき財源はきっと出てくる、 私はこんなふうに思っています。

 できれば、この際、地方自治体の権能に基づいた地方公務員のあり方、そういうものもあわせて考えなければならない時期が来たのではないか、こんなふうに思っています。

 過疎とか過密とか、財源があるとかないとか、それは地方の個性というふうに私はとっていいのではないか。国民はひとしく生活する権利がある、これも大切なことでありますが、等し い権利というのは果たして物資的なものだけだろうか。過疎には過疎のよさがあり、過密には過密のよさだってあると私は信じています。

 私は、先ほど申し上げましたように、公選そのものを大事にしながら、地方は徹底した情報公開をしていく、このことをいつも忘れないように、こんなふうに考えながら一年五カ月、市長 としていつも執務をしています。  市町村合併について若干触れたいと思うんです。

 私は、市町村合併は、今話題になっておりますような特区構想、これもありますが、市町村が自主的に考える、市民みずからが住む家を考えてみるという点では、まさに画期的なもの である、画期的な命題であるというふうに思っています。市町村合併は、今までずっと、市民が町づくりをしていく上で、みずからが住む家の規模を決める、こんなことなかったんです。

 実は、志木市は、朝霞、新座、和光、志木という四つの市が法定協議会を今設置して、合併の是非を検討しています。来年四月には住民投票を行います。私は、一つの合併の意義 は、住民投票するというところに最大の意義がある、こんなふうにとらえています。

 特区構想もさっきちょっと触れましたが、すごい地方にとっては衝撃的なことでした。今まで市町村は、どちらかといえば、先ほど偉そうなことを言いましたが、県の指示を待っている、 国の動向を待っている、言ってみれば、口をあけて待っていれば何とか指導してくれるという状況でした。

 しかし、特区構想というのは、ほとんどだめでしたが、地方が考えたらどうですかと言われただけでも、身震いするほど緊張感が生まれました。そんな経験がないんです。法律を取っ払 って、何かいい方法がありますかと言われたときに、さあと、市町村長は、私は市長ですが、本当に何があるのかなというふうに考えました。職員だって驚きました。そういう意味で、特 区構想は、ほとんどだめだと思いますが、意義があったのかなというふうな感じ方をしております。

 この合併について、行政効率、財政基盤の強化、こういうものも取りざたされておりますが、私は、地方にとっては、地方のアイデンティティーを守ったりコミュニティーを醸成したり、そう いうことが大きな役割で、その次が行政効率であり財政基盤の強化だというふうに思っています。

 ただし、私は、合併には全く反対ではありません。合併は市民が決めるものだ。政治家にはそれぞれいろいろな選択があるでしょうが、私は、私の固有の意思、それを政治家として市 民に訴えるよりも、市民がみずから合併を判断する、それが間違いであろうとそうでなかろうと、そんなことはいいと思うんです。それが、もし合併したら新しいコミュニティーをつくる力に なり、そして、そうでなければ、また単独の市として新しいコミュニティーをつくっていく大きな要素になる、こんなふうに考えています。

 理念なき合併を市民の方々が推進するのは余りよろしくないのではないかとも思っております。できれば、地方としての、あるいは国としての、都道府県としての二十一世紀の国家像 を示していただければありがたい、こんなふうに考えております。合併は、市民参加と市民の意思で合併する、こんなふうにも思っています。

 それから、先ほどちょっと触れましたが、小規模自治体の話もあります。一万人以下の方々が随分今苦悩されていると思います。さっき言ったように、金がなければどっちかを選ぶ、全 く原則どおりやっていけばそれぞれ地方は地方なりに考えるでしょう、そのことでいいのではないか、私はこんなふうに思っています。基礎的自治体をもう一度考えていただければあり がたいなというふうに思っています。

 特に一言だけ触れたいと思うんですが、志木市は、東上線、有楽町線に近いところでありますから、ほとんどベッドタウンです。昔は企業社会、私は造語が好きなので企業コミュニティ ーと呼んでいるんですが、そこでずっとやってきましたが、今企業社会は明らかに崩れている。そして、市民が求めるものは企業社会にかわる地域社会、こんなふうに認識をして、大きく 地域に戻ってきていただいている。もちろん、現職のお勤めの方々もそうであります。

 最後、三分になりましたので、志木市で今やっている地方自立計画についても若干、二、三分触れたいと思います。  簡単に一言で言えば、この自立構想は、今の許された範囲の中で、地方の小規模自治体、私のところも入るというふうに信じておりますが、基礎的自治体のあり方を、公務員が行政 サービスをするという二十世紀のずっときた概念を壊していこう。

 地方公務員は二十年間以上にわたって、今市民の説明会を開いていますが、できれば公務員はもう不補充にする、そのかわり市民の皆さんに行政サービスを担ってもらう、そのかわ り、お預かりした税金は全部ではありませんが還元をしていく。要するに、公務員だけが担っている行政サービスを市民の皆さんにやっていただく、そんな共同体、そんなふうにもとらえ ています。

 これは、少子高齢社会、これらを考えますと、二十一世紀型の、もう新しい地方自治体の運営を考えるべきではないか、こういうことも入っております。国の財政の厳しさ、地方の財政 の厳しさを考えますと、新しい運営形態があってもいいのではないかと思っています。もちろん財政効率だけではなくて、市民と市の乖離をしている姿を、もっと一体感を持ちたい、このこ とも自立計画の大きな目標の一つです。これからは市民と協働することによって、お互いに協力し合って働くことによって、新しい自治体をつくっていきたい、こんなふうに思っています。

 ちょうど四十分になりましたので、まだまだ言い足りない点もあるんですが、私の主張を、あるいはお話を終了させていただきます。どうもありがとうございました。


11/28質疑録に戻る