2002年5月9日
第154回国会 衆議院 憲法調査会国際社会における日本のあり方に関する調査小委員会
案件:国際社会における日本のあり方に関する件
参考人:株式会社三井物産戦略研究所所長 寺島実郎 氏 →意見陳述を見る
[1]質疑内容 [2]会議録抜粋
[1] 質疑内容(10分)
[2] 会議録抜粋
○中村(哲)小委員 民主党の中村哲治でございます。本日は、大変ありがとうございました。
先生にまずお聞きしたいのは、安全保障における集団的自衛権の問題であります。
九条から考えますと、私たち日本が自衛権を持っているのか持っていないのか、行使すべきなのかすべきでないのかという論点がまずあると思います。そして、自衛権を持っているから個別的自衛権の行使ができるというふうなロジックだと私は理解しております。
日本が集団的自衛権の行使ができないというのであれば、集団的自衛権だけでなく、個別的自衛権も含めた自衛権が行使できないというふうに考えるべきなのではないか。自衛権を認めた以上、個別的も集団的自衛権の行使も認めるというのが、憲法解釈上私は妥当だと考えておるんですけれども、従来の議論はそういうふうになっていないと思います。そして、集団的自衛権を認めていないということが、かえって国益を損なうことになってしまっているのではないかと私は思っております。
例えば、昨年のテロ特措法においても、個別的自衛権の範囲しか認められていないという憲法解釈をとっているがゆえに、現行憲法の範囲でできる限りのことをするということで、無限定無原則に、世界情勢によって最大限の協力をしていかないといけない。無限定無原則に自分たちがかかわる範囲を広げていってしまうというところに問題があるのではないかと思っております。
つまり、憲法解釈でどこまでできるのかという一般的抽象的な範囲というものと、個別具体的にその状況においてどういうふうな政策決定をしていくのかということを分けて考えなくてはならないのではないか。
そういうことを考える上においては、集団的自衛権の行使というものは認めていった方が、現代の軍事的なあり方、安全保障のあり方ともそぐうのではないか。武力行使と一体化というふうな概念が用いられておりますけれども、近代戦において、この武力行使と一体化という概念が本当に個別的自衛権と集団的自衛権を峻別する基準になるのかどうかも含めて、私は非常に疑問に感じております。
前文の意思と九条の意思というものは、私は非常に大切だと思っております。この感覚を現代の世界情勢の中で生かすためにも、憲法解釈は変えて、そしてその中で、九条と前文の趣旨を反映して、できるだけ抑制的に自衛権の行使というものを考えていくことが必要なのではないかと考えておるのですけれども、世界情勢から見たときに、こういうふうな考え方、そして、今平井委員がおっしゃいました憲法改正のあり方を含めて、憲法改正をした方がいいのか、それとも解釈で変えた方がいいのか、その辺も、国益にはどちらがそぐうのかということをお聞きしたいと思います。よろしくお願いいたします。
○寺島参考人
私は、解釈改憲というふうな技術的な、いわゆる原則の崩壊みたいなことはまずいというふうに思っていまして、変えるならば、きちっと憲法を筋道通ったものにすべきだというのは先ほど申し上げたとおりなんです。
今おっしゃった点について、ちょうど国際社会における日本のあり方に関する調査小委員会の関係法規集というものの百六ページに、まさに日米安保条約がきちっと載っかっています。その冒頭のところをごらんになればわかるように、ここに「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、」と明確に日米安保に書いてあるわけですね。したがって、私も、自衛権に集団的も個別的もなく、いかなる国も自衛権を持っているし、原則的にこの国も集団的自衛権も個別的自衛権も持っている。
しかも、最も重要なのは、自衛権の発動に対する主体的判断力をこの国が持っているのかというところを重視しなきゃいけないと思うのですね。つまり、集団的自衛権を行使する判断、一緒に参画してこの国の防衛を図る、判断する、そういう基軸を持っているのかというところがポイントで、例えば今般の有事法制に関する議論にも絡んでくるわけですけれども、国家として、緊急時に対して緊急権を確立しておくということはある程度必要だということはよくわかります。
だけれども、問題は有事認定というものです。その有事の認定にこの国が主体的な力を持っているのかどうか。現実論として、集団的だろうが個別的だろうが、今この国が、周辺事態という言葉で呼ぼうが有事という言葉で呼ぼうが、アメリカが現実的に軍事力を行使する行動に出た場合には、ほぼ自動的に、実態的にそれに巻き込まれていかざるを得ないという構図になっていることこそ問題なのではないか。
したがって、この国が主体的に有事を線引きできる立場を確立するというのが、先ほど申し上げた、例えば地位協定だの基地の縮小だのという話を持ち出した最大の理由で、あとは、ある種の細かい技術論を超えて、日本が主体的に有事を判断できるようなさまざまな制度設計といいますか、例えば国際情勢を判断する情報力というものも含めて、国家としての戦略を確立する上での前提として、いかにも虚弱な部分を抱えているというのが僕の実感です。
つまり、先ほどから繰り返しているように、アメリカというフィルターを通じてしか政策を判断できないようなところにまでなっているのではないかという問題意識を前提にして、今申し上げたような話でお答えにさせていただきたいと思います。
○中村(哲)小委員
次の質問に移らせていただきます。
多国間フォーラムというお話がありまして、東アジアにおいて多国間フォーラムが大切だというお話でした。
私、先週インドへ行ってまいりまして、インドという国から見て、インドまで含めた、東アジアからちょっと広げた方がいいのではないかというようなことも感じたんです。というのは、インドというのは大国でありながら民主主義の国でありますし、そして、行ってみてわかったのが、過去の悪い経緯がなかったということもあるのでしょうけれども、かなり親日的な国であります。
こういったアジアの国と連携をとりながら、アジアの多国間フォーラムを考えるべきなのではないかというふうな印象を持ったのですけれども、それについてはいかがでしょうか。
○寺島参考人
望ましくは、その方向に行くべきだというふうに申し上げたいと思います。
これは、配っている資料を若干活用する意味もあって、この二ページ目の「エマージング諸国の経済見通し」ということの中で、世界のエコノミストの平均的な予測値が、二〇〇二年、二〇〇三年についているんですけれども、おっしゃったインドというのは、今五%成長ゾーンということですごく経済的にも力をつけてきている、中国の七%ほどではないですけれども。
御承知のように、ASEANとインドの関係というのは物すごく重要なんですね。特に、シンガポールとインドのITにおける連携というのは我々が物すごく気にしているところです。ASEANに対するインドの影響力、それからさらに、中国の南進という言葉がありますけれども、要するに、ASEANに対する大変大きな浸透性、影響力、そういう中で、アジアの経済大国としての日本がどういうスタンスをとっていくのかということは非常に重要で、こういう経済的な関係をも背景に置いて、それをより安全、安定したものに持ち込むための、おっしゃるような多国間の外交安全保障に関する意思疎通の場を南西アジアにまで広げたフォーラムにということは、一つの視界に入れておくべき戦略だろうと思います。
○中村(哲)小委員
それにはまだ状況が足りないということを、まず東アジアじゃないと現実的ではないというお話だと理解してよろしいんでしょうか。
○寺島参考人
僕が言いたいのは段階的接近法で、まずこの国にとっての、例えば日米安保そのものが極東条項というものに今日現在も縛られているはずで、いつの間にかそれを忘れられちゃっているわけですけれども、やはり東アジアにおけるまず予防外交に最大の重点を置いて、ただし、中国に対するカードとしてのインドというのは、これは歴史的にも大変重要なものがあるし、インドは、チャンドラ・ボースからパール判事まで、二十世紀の日本の外交に大変大きな意味を持ってきたところでもあるし、そういう意味合いにおいてインドカードというものを重視しなければいけないという視点は、おっしゃることは物すごく重要だと僕も思っています、ここのところインドとの関係もいろいろあるものですから。
特に、インドのIT分野での力のつけ方というのは、日本が今後アジアとの連携を図るときに、ITにおける連携というときに必ずインドが視界に入ってこなきゃいけないということです。そういう意味合いにおいても、インドにより注目すべきだという視点をこれから大事にしなきゃいけないと思います。
○中村(哲)小委員
時間が参りましたので、終わらせていただきます。
ありがとうございました。
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