2002年6月6日
第154回国会 衆議院 総務委員会
案件:日本郵政公社法案、日本郵政公社法施行法案、民間事業者による信書の送達に関する法律案、民間事業者による信書の送達に関する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案
[1]質疑内容 [2]質疑項目 [3]会議録抜粋
[1] 質疑内容(45分)「信書便法案について(1)」
2003年4月に郵便局が郵政公社に組織変更されます。同時期に、手紙・はがきといった信書の送達に民間事業者が参入できることになります。小泉総理大臣が政策の目玉として、法案の中身について自民党の了承を得ないまま、前者について郵政公社化法案、後者について信書便法案を提出してきました。
このうち、信書便法案について質疑を行いました。何点かの質問のうち、信書と立憲民主主義との関係については、基本的に総務省の見解とはおおむね一致しました。
立憲民主主義とは、表現の自由をはじめとした人権が保障されたもとで、国民一人一人の自由な意見表明により政治を創り上げる政治体制です。この立憲民主主義を運営するためには、個人の意思が自由に流通することが必要です。信書は、そのための基礎的手段です。なぜなら、紙と筆記具と切手さえあれば多くの人が作られる、簡易で安あがりなものだからです。電話やEメールなどの電気通信と違って記録に残る手段でもあります。
何が信書にあたるか、については、この立憲民主主義の要請に応えているか否か、をもとに判断基準を設けるべきです。
政府は、法案が成立した後にガイドラインを作り、何が信書にあたるかについて、そこで判断するとのことです。しかし、公開された国会の場で議論されることなく行政の中で決められてしまうと、これから信書送達市場に参入しようとしている民間業者に不安を与えてしまいます。ガイドラインの作成手続に国会を関与させ、立憲民主主義の趣旨を反映させるべきだと訴えました。
[2] 質疑項目
1.行政機関の長による国会答弁について
1)行政機関を代表する答弁であることの当否
2)公的答弁と私的答弁の識別
2.信書の定義について
1)郵便法に盛り込む文言を採用した理由
2)個別の事件に対する判例を法文化することの適否
3.立憲主義国家における信書の役割
4.信書に関するガイドラインについて
1)有権解釈の意味
2)官僚の裁量の余地が大きくなる懸念
3)作成の手続きを国会で論議する必要
5.ダイレクトメールの形態
6.信書の形態
[3] 会議録抜粋
○中村(哲)委員
民主党・無所属クラブの中村哲治です。
私は、昨年六月十二日の質問に引き続きまして、信書の性質論について議論をさせていただきます。信書の定義、ガイドライン、そして具体例、ユニバーサルサービスの内容などに ついて、本日は議論をさせていただきます。
ただ、具体的な質問に入ります前に、先ほど大臣がおっしゃった答弁と個人的見解の違いについてお聞きいたします。
まず、行政機関の長が国会で質問をされて答える場合、その発言というものは行政機関を代表して行政機関の見解として答える答弁であると考えてよろしいですか。
○片山国務大臣
原則としてはそうだと思います。
○中村(哲)委員
それならば、特に断りがない限り、行政機関を代表して行政機関の見解を述べていると考えてよろしいですね。
○片山国務大臣
断りがなくても、その答弁の、発言の全体を見て、これは個人的な見解だということは私はあり得ると思います。
今回も、御承知のように今郵政公社化法案の御審議をいただいているわけでありまして、公社化法案後のあり方については、総理直属の懇談会で議論の真っ最中でございます。だから、総理は御承知のように郵政民営化論者ですから、郵政民営化を行おう、やろうという立場から見れば、この公社化はその途中経過だ、こういうふうにお考えになるのも無理はないので。
しかし、全体としては、今、国会で公社化法案を御審議いただく、政府は何らの公社化後については結論を持っていない。したがって総理がわざわざ直属の懇談会をつくって御議 論いただいている、こういう中で言われた発言ですから、私は、政治家としての持論を述べたものだ、こういうふうに考えております。
○中村(哲)委員
特に断りがなくても、場合があり得るというお話でした。それならば、私たち国会議員は、政府からの答弁に対して、何を基準に、この今なされている答弁が政府の答弁なのか、それとも政治家個人としての発言なのか、それを判断すれば いいのでしょうか。
○片山国務大臣
私、原則として申し上げました。
答弁は、行政機関の長としての公的な答弁というのがほとんどだと思いますけれども、内閣法制局の方から話がありましたように、個人的見解があっても、それは一向構わない、こう いうことでございますから。個人的見解の場合には、断るのが一番いいんでしょうけれどもね。
しかし、断らずに個人的見解をつけ加えられるということは、私はあり得ると。 ただ、全体の発言の中身から、それは個人的見解だということがわかるのではなかろうかということもあるということを申し上げたわけであります。
○中村(哲)委員
全体的な発言の内容から個人的な見解がわかるというのは、客観的に明確である場合でなくてはならないと私は考えます。その点に対して一義的に明らかでない 場合、やはり答弁と考えるのが国会のルールではないかと考えますが、いかがでしょうか。
○片山国務大臣
多くの場合は、今委員の言われるとおりだと思います。
ただ、今回の小泉総理の発言は、同じことを繰り返しますけれども、今公社化法案を御審議いただく、まだ通っていないんですよね。しかも、公社化後のあり方については、総理みず から懇談会をおつくりになって、結論を出してほしい、こういうことで、今審議中ですよね。
そういうもろもろのことを考えたら、総理の発言は、やはり個人的な見解といいますか、かねての 持論の開陳であった。政治家としての持論を申し上げたんだ。これは、政府として統一した閣議決定によって、質問主意書を出された議員の方にそういうお答えを申し上げておるわけで ありますから、あのとおりだと御解釈いただきたいと思います。
○中村(哲)委員
私が聞いているのはそういうことではありませんでして、私たちが質問をした場合に政府から答弁がなされる、その答弁が政府の見解なのか、それともその政治家 個人としての発言なのか、それを、その答えを聞いている間にどちらかを判断する基準はどこにあるのか、どういうふうに判断すればいいのか、それについてお聞きしているわけでござ います。
○片山国務大臣
どういう答弁をされるか、どういう発言をされるかわかりませんから、それは基準というようなものはないんでしょう。 ただ、今、何度も言いますけれども、ほとんどが行政機関の長としての答弁だ、こう御理解いただければいいと思います。
○中村(哲)委員
この問題に関しては、さらに踏み込んで十一日に質問がなされるでしょうから、次に移ります。
まず第一に、信書の定義についてお聞きいたします。今回、法律で、信書の定義として、「特定の受取人に対し、差出人の意思を表示し、又は事実を通知する文書」という定義になりました。なぜこの定義なのか、お聞かせください。
○片山国務大臣
これは、確定した判例なんですよ。確定した判例でございますので、その表現をとらせていただきました。
○中村(哲)委員
確定した判例というのは、一つ形式的な理由としてはあり得ると思うんですね。しかし、実質的な理由としては非常に弱いと思います。実質的な理由をお聞かせくだ さい。
○片山国務大臣
定義するのに、各国の法令も見まして、その確定した判決も見て、こういう表現が最も妥当ではないかと考えたわけであります。
○中村(哲)委員
大臣にとっては釈迦に説法の話になると思いますが、少し見解を述べさせていただきます。
判例というのは、言うまでもなく、具体的な事件に対して、その事件を解決する限りにおいて、法令で明確な基準が述べられていない場合に司法がその権限においてその事件を解決 する範囲内で行う行為です。つまり、個別具体的な事件に対する見解であります。 そして、それを、法的な確信のレベルまで高まったということで、法改正の議論において定義に盛り込むということになると、そこにはそういうふうな法的確信に至ったその実質的な理 由を起草者は述べないといけないはずです。
憲法七十二条、内閣法五条に基づいて、この法案は内閣から提出されております。それがゆえに、この定義がなぜこの定義になったのか、実質的な理由を起草者である内閣は述べ ないといけない、これが憲法の枠組み上の法理であります。だからこそ、実質的な理由を聞いているわけでございます。御答弁をお願いいたします。
○片山国務大臣
何度も同じことを言いますけれども、今まで信書という定義はなかったんですよね、日本の法律の中には。そこで、今回も、今までも法律上の定義がなくて実際やっ てきたわけですから、定義は要らないんじゃないかという議論もあったんです。
しかし、今回は公社化になる、民間事業者の方にも郵便事業に参入してもらう、それから、先ほども言いましたが、外国の法律をずっと調べまして法律上どういう定義を書くのが適当 か、そこで、先ほど委員が言われましたように、特定の受取人に対して差出人の意思を表示し、または事実を通知する文書だ、こういうことを明らかにしたわけであります。そうすること が今回の郵政事業改革においては必要だ、こういう実質的な判断に立ったわけでございまして、そういう意味では、憲法で、特に表現の自由に絡んで秘密を保持する、秘密を守る、個 人間の通信の秘密を守る、こういうことも念頭にあったことは事実であります。
○中村(哲)委員
諸外国の例を参考にされたというお話でした。 諸外国とは何なのかということを考えますと、万国郵便条約を結んでいる国々、そういった国々を見ますと、やはり立憲主義、近代立憲主義ということと大きく関係しているんだろうと私 は考えます。 信書の性質論の議論になるかと思いますけれども、信書と立憲主義について、その関係をどのように大臣はお考えでしょうか。
○片山国務大臣
なかなか難しい御質問をいただきましたが、立憲民主主義、憲法に基づく民主主義の基礎として、憲法に保障されている、先ほども言いましたが、表現の自由、通 信の自由、そのために、この信書というのは基本的な手段でございまして、これは秘密は絶対守るべきものだ、こういうふうに私は考えております。
○中村(哲)委員
大臣のお話を伺って私なりに理解を述べさせていただきますと、近代立憲主義国家というものは、まず国民がスタートである、そして、国民が自分たちで国家をつく っていく、ないしは統治機関をつくっていくときに、国民同士の、個人同士の意思の流通が必要である、そのように私は理解しておりますが、その点について、いかがでしょうか。
○片山国務大臣
私も全く同じ考えであります。
○中村(哲)委員
そうすると、日本国が日本国憲法で立憲主義という統治体制をとっている限り、まず国民と国民が自分の意思を流通させる、それが必要である、そういうふうに考え てよろしいですね。
○片山国務大臣
私もそのように思っております。
○中村(哲)委員
私は、るるなぜこのようなことを申すかというと、信書というものが国民と国民の意思の流通にとってどういうふうな役割を果たすべきなのか、立憲主義をとる場合に おいて、この信書がどのような位置づけになるのかということを改めて総務大臣の口から答弁としてお聞きしたいからでございます。
つまり、信書は電気通信などと違って、通信手段として立憲民主主義にとってどのような意味を持っているのか、それについてお聞きいたします。
○片山国務大臣
先ほども委員言われましたが、国民と国民の間のコミュニケーションの基本的な手段ですよね。しかも、それは秘密ということですね。お互いの秘密をしっかり守ると いう前提で、そこがほかのものとは違うのではないか、こういうふうに考えておりますし、そういう国民の自由な意思のコミュニケーションを担保するということが民主主義の基礎ですね。 憲法もそれを基本的人権として強く保障している、こういうふうに考えております。
○中村(哲)委員
私がお聞きしたかったのは、電気通信などのほかの通信手段と異なり、信書が立憲民主主義においてどのような役割を果たしているのか、その点についての御認 識を伺いたかったわけでございます。改めてお願いいたします。
○片山国務大臣
だんだん、Eメールだとか携帯電話だとかというのが大変普及してきておりますけれども、信書には、現物が送付されるという現物性、年賀状、あいさつ状などに見ら れるような儀礼性など、電気通信の手段によっては見られない特性があります。
将来、通信手段として電気通信関係が幅広く利用されることになったとしても、私は、この重要な役割は 変わらない、特に年賀状などというのは、そういう意味での日本の文化ではないか、こう考えておりまして、その重要性は減らない、こう思っております。
○中村(哲)委員
大臣の答弁を、私なりにもう一度問いを変えてお聞きいたします。
通信手段として、どのような考え方をするのか。まず信書というものがベースに、基礎的にあって、その上にほかの通信手段、電気通信などがあると考える考え方が一つあります。も う一つの考え方は、電気通信というようなものもある、信書というものもある、これは並列的に考える、そういう考え方です。どちらの考え方をとるのかということが非常に重要だと私は思 うんですね。
これがどういうときに違いとなってあらわれてくるのか。それは二十年後、三十年後、電気通信がほとんど通信手段としては占めてしまう。そして、信書というものは、文化的な価値、 いろいろな価値はあるんだけれども、どんどん少なくなってしまう。そして、その結果、信書便はもとより、公社においても独立採算ができなくなってしまう。
そういったときに、いや、もうほかの通信手段でユニバーサルサービスが確保されている、国民の国民に対する意思の伝達、それは確保されているから、もう信書は要らないんだと考 えるのか、いやそうではなくて、何らかの措置を考えて、信書のユニバーサルサービスは守らなければいけないのか、ここに大きな結論として出てきます。
私の見解は、立憲民主主義を日本国がとる限りにおいては、紙に文字を書いて、封をして、切手を張ってポストに入れるだけで届くものというのは、やはり年齢などを超えて、だれもが できる、だれもが使えるサービスです。電気通信のように、電話機を買ったり、インターネットをするためにパソコンを買ったりする必要もありません。
そういった意味で、信書というものは 立憲民主主義にとって基本的な通信手段であり、電気通信などは、いわばその上にあるプラスアルファの通信手段と考える考え方を私はとります。
大臣は、どちらの考え方をとるのか。基礎的なものがあって上になるのか、それとも、並列に考えていくのか。どちらの考え方でお考えになるのでしょうか。
○片山国務大臣
私は、やはり信書の出し、受け取るということは、国民にとって基礎的な通信手段だと思いますね。最も身近で、しかも大変安く手軽にできる。しかも、隅々まででき る。お金がかかりませんね。かかりますけれども、しかし、それはほかの手段よりはずっと安いというようなことなら、やはりこれは生活インフラといいますか、国民にとっては基本的な通 信手段ではないかと考えております。
○中村(哲)委員
昨年六月十二日の片山大臣の答弁で、片山大臣は不易流行ということをおっしゃいました。時代に応じてやはり変えていかなくてはならないもの、しかし、時代が 変わっても変えてはいけない普遍的なもの、そこをきちんと見きわめていくことが必要なんじゃないかという私の質問に対して、片山大臣は不易流行という言葉でお答えになりました。
本日の片山大臣の御答弁を総括いたしますと、信書の送達、ユニバーサルサービスの提供というものは、日本国が立憲主義をとる限りにおいては、必ず国民にあまねく保障しなくて はならない、そういう性質のものだと政府は考えていると考えてよろしいですね。
○片山国務大臣
まさにユニバーサルサービスというのはそういう考え方ですね。委員と同じ考えであります。
○中村(哲)委員
それでは、第二に、ガイドラインの話についてお聞きいたします。 一昨日の答弁で、有権解釈によって行うということでした。有権解釈とはどういう意味でしょうか。
○片山国務大臣
法令というのはそれぞれ各省が所管しております。その法令について一義的に責任を持つ、所管する省庁が解釈を示す、これが有権解釈である。ただ、これについ て問題ありと仮にすれば、最終的には、我が国は三権分立ですから、最後は司法の判断、こうなりますけれども、一義的には、今言いましたように、責任を持つ省庁が法令の解釈をす る、こういうことであります。
○中村(哲)委員
私はそこが問題だと思っているんですね。結局、ガイドラインをつくるといっても、それは今まで法律によって行政に与えられた権限内でできるんだ、それが有権解釈 ということですね。
そうすると、やはり参入する民間企業ないしは参入はしないけれども物品でいろいろな書類などを送ろうとしている人にとっては、官僚の裁量が大き過ぎるんじゃないかという批判があ ると考えられます。 この有権解釈に関しては官僚の裁量という問題といつもかかわってきます。
私は、この批判をかわすためにも、政府提出の立法ですから、この批判にこたえるためにも、このガイドライ ンの決め方などを法定化していくのが一つのやり方ではないかと考えますが、この官僚の裁量が大き過ぎるという批判にはどのようにお答えになるでしょうか。
○片山国務大臣
今回、はっきり法律上、定義を書きましたから、特定の受取人に関して、差出人が意思を伝達する、事実を告知する、こういうことですから、それについて大部分はど なたが解釈してもわかるんですよ。ただ、かなり際どいものも中にあるかもしれませんので、そういうことを、この際、はっきりした何らかの基準で国民の皆さんにわかっていただく方が便 利ではなかろうか、こういうことであります。
○中村(哲)委員
大臣のおっしゃったことを否定するつもりはありません。
しかし、そのはっきりした定義に基づいて、何がそれに当たるのか、そのガイドラインの決め方についてはやはり何か手続規定が必要なのではないかというのが一般的な考え方、批 判のもとになっている考え方ではないかと思います。それについての御答弁をお願いしたいわけでございます。
○片山国務大臣
だから、有権解釈を示すのは行政サイドだけの判断でいいんですけれども、今回については広く国民の皆様の意見を聞く、パブリックコメントという形、あるいは関係 の業界その他の皆さんの意見を聞く、あるいは有識者の意見を聞く。幅広く意見を聞いて、その上で国民の納得できる形の信書の範囲はこうだ、こういうものを示したいと考えているわ けでございます。
○中村(哲)委員
つまり、総務大臣としては、有権解釈の範囲でガイドラインの決め方、ガイドラインを改変するときのその改変の仕方などもやっていきたい。
対して私は、やはりガイ ドラインをつくる際には、ガイドラインのつくり方も含めて、国会の関与のもとに法文化していくことが必要である、そういう見解の違いがあるということを確認させていただいてよろしいです ね。
○片山国務大臣
我々は、法案も今御審議いただいておりますし、この信書についても国会でさまざまな御論議をいただいておりますから、それを参考にもちろんさせていただきたい と思いますし、またつくり方や、これから幅広く意見を聞いてまとめていきますけれども、その過程で国会の議員の皆様の御意見を聞かせていただく、大変結構だと思っております。
○中村(哲)委員
ガイドラインの見直しということに関しても、見直すやり方、そのガイドラインをつくるガイドラインというようなもの、そういう手続規定については国会にお示しなさるつも りはございませんか。
○片山国務大臣
今、三権分立の考え方からいうと行政府だけでやってもいいわけですけれども、それはもう大いに立法府の、この国会において御議論いただくのは、先ほども言いま したが、私は、大変結構なことだ、こういうふうに考えております。
○中村(哲)委員
大臣、私の聞いたことに答えておりません。ガイドラインをつくるその手続規定について、いわゆるガイドラインをつくるためのガイドラインについては国会に示すつもり があるのかないのか、イエスかノーかで聞いているわけでございます。
○片山国務大臣
手続というのは特別ないんですよ。ただ、今言いましたのは、総務省といいますか、そこがつくる場合に、パブリックコメントという手続を設けるとか、あるいは有識者 の方に集まっていただいて意見を聞くとか、そういうことを今考えておりますが、いつまでにどうする、こういうことについては国会の御審議を見ながら、法律が通ってからの話ですから、 今そういうことで検討中でございます。
○中村(哲)委員
イエスでもノーでもない、検討中だということでしたので、ぜひガイドラインをつくるための手続規定のガイドラインは示していただきたい。
らちが明きませんので、第三の質問。第三番目に、信書の具体例を交えての議論をさせていただきます。
先ほどから、ダイレクトメールの話がありました。ダイレクトメールが信書に当たるのかどうか、それについての議論がなされています。私は、佐田副大臣の御答弁をお聞きしておりま すと、最終的には、ダイレクトメールの中に信書に当たるものも当たらないものもあるだろうと。 佐田副大臣のお立場ならば、その当たるかどうかということも含めて、今後ガイドラインの中で決めていくべきことだから、今はなかなか答えられない、今判断できない。法が通ってか ら、有権解釈のもとで出されるガイドラインに基づいてダイレクトメールが信書に当たるのかどうかということを判断するわけだから、ダイレクトメールというのはいろいろなものを含んでおり ますから、今一義的に信書に当たるかどうかは言うことができない、そういうふうな御答弁であろうと私は理解しておりますが、佐田副大臣、それでよろしいでしょうか。
○佐田副大臣
先生、先ほど一番最初に判例のお話がありましたけれども、基本的に信書がいかなるものか。いろいろなことを言われる方がいらっしゃいますけれども、広くわっと出す ものについてはこれは信書じゃないわけでありまして、それはあくまでも、要するに、法令の定義に基づきましてこれは判断をしておるものであります。
一方、ダイレクトメールというのは、今先生の御指摘がありましたように、ダイレクトメールはこういうものだという定義がないわけでありまして、これはいい、これは悪いということは今の ところ、要するに有権解釈というような形ですけれども、監察局で、公社になったら変わりますけれども、監察局の方で判断をしてやらせていただいているというのが現実であります。
○中村(哲)委員
このダイレクトメールの議論をするときに、チラシのようなものはどうなるのか。カタログのようなものとどう違うのかということが議論になってきます。そういうふうなとこ ろで、有権解釈をするにしても、何か基準をつくる必要があるのではないかということが私の念頭にありまして、具体例を挙げながらの質問をさせていただいています。
郵便法五条三項ただし書きにおいては、信書であっても添え状、送り状は物品と一緒に送っていいということになっています。それに対して、なぜそうなのかということに対しては、第 一回国会衆議院通信委員会、昭和二十二年十一月十一日における小笠原郵務局長の答弁があります。
その答弁の中には、一般の慣習であるということが理由となっております。信 書であるがゆえをもって禁止することは、一般の実情に即しませんので、貨物に添付する添え状、送り状は特にこれを認めることといたしますというふうに答弁なさっています。
つまり、 社会的相当性ということと非常に大きな関係を持っているのがこの信書の解釈の部分なんだと私は考えます。
そういったものを考えるときに、事前に総務省から示された信書に該当するものの例、該当しないものの例の中に、該当しないものの例として書籍、雑誌というものがあります。 サイン入り本などはどのように考えたらいいのか。本の中に、中村様へ、この本読んでくださいね、謹呈、その著者の名前が書いてあるもの、そういったものと、その部分だけが添え状 になっているもの、その本の違い。サイン入り本か、添え状がついている本か、これが片一方ならば信書に当たるのか、片一方は物品に添え状が添えられているものだと考えるのか。 社会的な観点から見たら、どうもこういうふうな違いが起こってくるのはおかしいんじゃないかなということも感じるわけでございます。
このサイン入り本の件と、本と添え状のセットの違いについては、大臣、どのようにお考えでしょうか。
○佐田副大臣
先生、この辺はちょっと常識的に考えていただきたいんですけれども。常識的と言うと失礼かもしれません。
先生も御指摘にありましたように、五条の三にありますよう に、「貨物に添附する無封の添状又は送状は、この限りでない。」というこの条項でありますけれども、例えば本に、読んでくださいとか、こういうふうな誘導するような形の、こういうもの は信書ではない、こういうふうになっておりますので、御理解をいただきたいと思います。
○中村(哲)委員
例えば、携帯電話の後ろに、あけたら大体電話番号が書いてあるんですよね。この電話番号が書いてあるところに、中村さん、この電話番号であなたのところにか かりますと店主の名前が書いてあるような場合、これも信書に当たらないと考えてよろしいですね。
○佐田副大臣
携帯電話にだれだれさんへと書いてある場合は、これは特定の人に送る、示すわけですから、これは信書であると思っております。(発言する者あり)中にでしょう。中 に書いてあるんでしょう。
○中村(哲)委員
こういうふうに中に電話番号が書いてあって、ここに、この使用方法として、この電話番号にかけてもらったらあなたにかかりますということを店主の名前で書いてあ る場合。
○佐田副大臣
失礼しました。私はそれを個人的なことが書いてあると思って誤解しました。済みません。 それは、要するに、ここへかければかけられますというのは、これは送り状かもしくは添え状、こういうふうに判断しております。
○中村(哲)委員
送り状、添え状というのは、本体に書かれていても送り状、添え状になるということですか。
○佐田副大臣
済みません。ですから、そういうふうに個人的にやるんじゃなくて、物品に書いてある場合はこれは違うわけですね、それは送り状とかそういうものになるわけです。
○中村(哲)委員
いや、個人的にやっているわけです。個人の名あてに、中村様、この番号にほかの人からかけていただきますとあなたにかかりますというふうな文言が携帯本体に 書かれているような場合、その店主の名前もちゃんと書いてありますよ、そういうふうな場合、それは信書に当たるのかどうか。
○佐田副大臣
大変難しい質問ですけれども答弁させていただきますと、先生、要するに、判例に従って考えるならば、これは当然、厳密に言うならば、これは事実を伝えるわけです から、これは信書である、こういうふうになりますね。
○中村(哲)委員
同じことをほかの物品で考えてみましょう。冷蔵庫や洗濯機のことを考えてみましょう。
洗濯機の裏面には、大体、使用方法が書いてあります。中村様、この以下の使用方法に基づいて使ってください、店主の名前が書いてある。今、佐田副大臣の御答弁ならこれも信書 に当たるということになりますが、いかがでしょうか。
○佐田副大臣
非常に厳密な話ですけれども、やはりこれは五条の三にありますように、何々様、要するに、扱い方のところに書いてあるわけでしょう。これはもう添え状、こういうふう に判断しております。
○中村(哲)委員
添え状になるんだったら、これは信書に当たるわけですよ。さっきの御答弁であると、本体に書かれているものは信書である、先ほどの携帯電話も信書である、冷 蔵庫、洗濯機も信書であるということになる、そのように考えてよろしいんですね。
○佐田副大臣
要するに、冷蔵庫か携帯かとか、そういう問題ではなくて、それはあくまでも、非常に微妙なところではありますけれども、やはり意思を伝えているかどうかとか、そうい うところで判断するわけでありまして、例えば、こういう品物をやるときに、機能の説明のところをお読みくださいとか、こういうものについてはこれは添え状であります。
ですから、実際問題として、先生、それは、例えば携帯なんかにどういうものが書いてあるか、これを見ない限りなかなか判断が難しいと思います。
○中村(哲)委員
つまり、添え状、送り状というものは、本体と一体となっていたとしても添え状、送り状であると考えてよろしいですね。
○佐田副大臣
添え状であるとか送り状というのは、当然これは常識的に考えて一体のものだ、こういうふうに判断しております。
○中村(哲)委員
私が言っているのはそういうことではなくて、本に添え状、送り状が、物理的に離れた存在であるけれども一緒にある場合、ある場合が普通のケースでありますけ れども、先ほど携帯電話のケースや洗濯機、冷蔵庫のケースで申しましたように、本体と一体となっているものであったとしても、社会的通念から見たらそれは別個の添え状、送り状で あると判断して、五条三項ただし書きの送り状、添え状と判断するという答弁でよろしいのかどうか、そのことを聞いているわけでございます。
○佐田副大臣
例えば、今の書籍の話で、特定の人にあてた通信文を書き込んだ場合には、その通信文が送り状または添え状に該当するものであれば、これは民間運送の営業者 でも送達できる、こういうことであります。
○中村(哲)委員
私が聞いているのは、先ほど申しましたように、冷蔵庫にあのように書き込んだ場合、携帯に書き込んだ場合、冷蔵庫自体が信書になるのか、携帯自体が信書に なるのか、そういうことなんですね。
佐田副大臣の御答弁をお聞きしたら、それは、携帯電話や冷蔵庫と物理的には一体だけれども、社会的には別に観念して、本体とは一体だけれども書かれている部分を別に観念し て、添え状、送り状であると。その部分だけは、物理的には一体だけれども、法律上、観念的には切り離して考える、そのように私は理解しているんですけれども、それでよろしいです か。
○佐田副大臣
いや、先生の質問は非常に微妙なものですから。
常識的にこれは御判断いただきたいんですけれども、例えば冷蔵庫に何か文書が書いてあれば、これはやはり信書です。そしてまた、本なんかに別にくっついていても、これはやは り一体なものと判断される。別に送るということはまずないと思いますしね。例えば書籍と別々にしたとしても、これは判断基準になる。添え状なら添え状だし、信書なら信書、こういうふ うになろうかと思います。
○中村(哲)委員
何遍も繰り返しますけれども、ちゃんと問いに答えてください。
サイン本に関しては、全体が信書性を帯びるのかどうか。そうではないとお答えになっていると私は考えるんですね。携帯電話の場合もそう。本体とは一体だけれども、その書かれた 部分のみが信書性を帯びて、添え状、送り状になって、携帯電話は物品であり、その部分が添え状、送り状になっていると。
物理的には一体だけれども、法律上、観念上は別のものと 分けて、五条三項ただし書きが適用されるものになると。 そういうふうに御答弁されていると私は理解しているんですけれども、それでよろしいですか。
○佐田副大臣
ですから、要するに、本にそういうふうに書いてあれば、これは添え状かもしくは信書になる、こういうふうに思っております。
○中村(哲)委員
つまり、添え状、送り状のたぐいだと認められるようなものが書かれている場合であれば、そこは、物理的に一体であっても社会通念上別個のものと判断されるの で、法律上は別のものと判断すると考えてよろしいということですね。
○佐田副大臣
ですから、書籍は信書じゃないわけですから、当然そういうふうに御判断されても私はいいですけれども、これは一体ですからね、もちろん。一体として判断していただ きたいと思っております。
○中村(哲)委員
副大臣、今のは答弁になっていませんよ。とめてください。――無理ですか。
今、矛盾があるということをお感じになりませんか。 今の場合なら、冷蔵庫、携帯も信書で送らないといけないわけですよ。そこについて、どのように御整理になっているんですか。
○片山国務大臣
今の携帯電話や冷蔵庫は、注意書きかなんかですよね。だから、そういうものは常識的にある程度考えなければいかぬのですよ。かなり際どいことばかり拾われて 質問されておりますけれども。そういうことがあるから、今度はガイドラインではっきりさせよう、こういうことでございます。ある意味では、頭の体操みたいなことになりますからね。
○中村(哲)委員
私は、この議論をするときに、佐田副大臣の御答弁の方向じゃなくて、文書性というところで議論があるのではないかと思っていたんですね。特定の人に対して意思 表示ないし事実の通知をするものであっても、それは文書に当たらないんじゃないか、そういうところから議論をすべきでないかと考えていたんです。
私の文書の定義というのは、その物体から可視的に読み取れる情報のみで、一般人から見て、送り手の方が意図するその物体の本来の目的を果たすものを文書とすべきじゃないか と考えているわけなんです。
つまり、その物体が、可視的に読み取れる文字ないし記号で、意思表示ないし事実の通知になっているもの、それは送り手が意図する性質のもの。しかし、送り手が意図するといっ ても、送り手自身がそう思っているわけじゃなくて、法律ですから、一般人から見て送り手の意思がどうであったかということが判断できないといけない。そういった意味で、私はこのよう に定義させていただきました。
もう一度申します。文書とは、その物体から可視的に読み取れる情報のみで、一般人から見て、送り手が意図するその物体の本来の役割、機能を果たすものと私は定義しているんで すけれども、この件については、昨日、質問通告もさせていただいておりますので、明確な御答弁をお願いいたします。
○佐田副大臣
非常に微妙で複雑なものですから、失礼いたしました。
信書については、特定の人に対し意思を表示しまして、言うまでもありませんけれども、また事実を通知する文書でありまして、その素材であるとか本来の機能いかんにかかわらない と解してきたところであります。
しかしながら、例えばクレジットカードについて言えば、その支払い手段として利用される側面に着目して、記載された文書は通信文とは解せないんではないか、こういう指摘もあるわ けであります。この辺につきましてもいろいろなケースがありますので、そういう非常に微妙なところにつきましても、今後、こういうふうに言われるとまた御質問されるかもしれませんけ れども、ガイドラインの中で検討していきたい、こういうふうに思っております。
○中村(哲)委員
時間が参りましたので終わらせていただきますけれども、私が申しているのは、有権解釈のもとで解釈するのであるからこそ、国会で、そのガイドラインを議論すると きの基準について議論しなくてはいけないと思うから、ここまで詰めた議論をさせていただいているわけでございます。
もし、佐田副大臣が今のような御答弁をなさるのであれば、それは 国会審議を軽視していると言われても仕方ないことだと思います。 ぜひ、この件に関しまして、政府見解をきちんと出していただくようお願いいたします。委員長、いかがでしょうか、この点に関して。
○平林委員長
後刻、理事会において協議をいたします。
○中村(哲)委員
それでは、質問を終わります。ありがとうございました。
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