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・横浜国立大学名誉教授 成田頼明 氏
・千葉市長 鶴岡啓一 氏
・政策研究大学院大学教授 福井秀夫 氏
・北海学園大学教授 森啓 氏

2001年12月4日 第153回国会 衆議院総務委員会議事録抜粋


会議録抜粋

○川崎委員長代理

 これより会議を開きます。
 委員長の指名により、私が委員長の職務を行います。
 第百五十一回国会、内閣提出、地方自治法等の一部を改正する法律案を議題といたします。

 本日は、本案審査のため、参考人として、横浜国立大学名誉教授成田頼明君、千葉市長鶴岡啓一君、政策研究大学院大学教授福井秀夫君、北海学園大学教授森啓君、以上四名の方々の御出席をいただいております。

 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中のところ当委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと思います。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 まず、各参考人の方々からそれぞれ十五分程度御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、念のため参考人の方々に申し上げますが、御発言の際にはその都度委員長の許可を得て御発言くださるようお願い申し上げます。また、参考人は委員に対し質疑をすることはできないことになっておりますので、よろしくお願い申し上げます。
 それでは、成田参考人、お願いいたします。

○成田参考人

 皆様、おはようございます。
 本日は、当総務委員会に参考人としてお呼びいただきましたことを大変光栄に存じております。

 私は、実は今回の地方自治法の改正につきましては、地方制度調査会の副会長としてかかわってきたという経緯がございます。本日は、全般についてもし御質問があればお答えいたしますけれども、そのうちでも住民訴訟、特に第四号訴訟が大きな争点になっておりますので、それを中心にして御意見を申し上げたいというふうに考えている次第でございます。

 時間が限定されておりますので、なるべく、細かい点は後ほどに譲りまして、概略の御意見を申し上げます。

 今回、地方自治法の改正案に盛り込まれております住民訴訟制度というものは、これも既に御承知だろうと思われますけれども、終戦直後に占領軍当局の示唆に基づきまして、昭和二十三年の地方自治法の改正によって我が国に導入されたものでございます。これはアメリカの諸州、アメリカの州といいますと四十幾つございまして、各州ばらばらですから、アメリカ全体がどうということはなかなか言えないわけですけれども、そのアメリカの諸州で活用されております、いわゆるタックスペイヤーズスーツ、あるいは最近はシチズンズスーツというふうにも呼ばれておりますけれども、それの日本版であるということでございます。当時、日本でも、やはりアメリカのそういう呼称に倣いまして、納税者訴訟というふうに呼ばれておりました。

 この制度は、これも御承知かと思われますけれども、住民の直接参政の手段、つまり、主権者としての地方公共団体の住民が直接参政をする手段の一環であるということ、それから第二に、地方公共の利益を擁護するということ、それから第三に、財務会計の運営に対する司法、裁判所の統制というもの、こういう三つの意義を持つものとして制度化さ
れたわけでございます。

 昭和二十三年導入の納税者訴訟が現在のような住民監査あるいは住民訴訟制度になりましたのは、これも御承知かと思われますけれども、昭和三十八年の地方自治法の改正のときに、財務会計に関するかなり大幅な改正が行われたわけでございます。それと、三十八年の改正のもとになりましたのは、昭和三十七年の三月の地方財務会計制度調査会の答申でございます。この調査会は既にかなり前、三十四年ごろから設けられまして、地方財務会計全般にわたるかなり広範な問題について論議がなされたわけでありますけれども、その中で、やはり納税者訴訟を見直そうということで、当時、私も助教授の若いときでございましたけれども、たしか幹事か特別委員というような形でこれに参与したということを覚えているわけでございます。

 この制度改正後、住民の方々からの請求は、昭和五十五年、一九八〇年ごろを境にいたしまして、著しく増加してまいります。当時、地方の時代ということが盛んに言われたわけでございますけれども、この地方の時代における住民の地方行政監視の手段として重要性が高まってまいりました。

 ところが、住民訴訟は全部で四号あるわけでございますけれども、四号訴訟だけが際立って多くなりまして、判例でもその要件、範囲がかなり拡大してまいりました。私の印象では、行政訴訟でありますけれども、かなり民事的な運営がなされまして、その範囲等も拡大してきたというふうな印象を受けます。

 こういった状況のもとで、知事や市町村長その他の関係者の方々からは、地方公共団体の機関として自分は活動しているんだ、だけれども、財務会計上の行為というのは地方団体の機関として行っているのである、ところが、その前提となる政策の当否が個人という形で訴えられる、それで、不法行為等に基づく損害賠償責任あるいは不当利得の返還請求、返還責任というふうな、個人として法的責任を負わされるという制度は何とか改めてほしい、こういう要望が出始めてまいりました。学者の間からも、これはいろいろ単行本や研究論文を通じて、あるいは判例批評等を通じて、制度そのものへの疑問が出始めるようになったわけでございます。

 そこで、昭和六十三年に地方自治協会というところに研究会が設けられまして、全自治体を対象とするアンケート調査、あるいは意見の提出というものを求めたわけでございます。これを一応解析、分析いたしまして、これをもとにして、今度の住民訴訟制度の問題点、見直しの論点、それから基本的な方向、複数の選択肢を含めてそういう論点の洗い出し、見直しの方向性というものを探ったわけでございますけれども、ただ、これはまとまりませんで、具体的な改正への提言をするまでには至らなかったわけでございます。

 平成になりましてから、これは御承知のように、地方分権への動きが加速してまいります中で、住民や市民団体の監視が非常に厳しくなってまいります。特に四号訴訟の提起が全国的に極めて盛況を呈するようになるわけでございます。その結果、情報公開制度等と相まって、いわゆる官官接待とか裏金づくりとか旅費、給与、こういったものの実態が明らかになりまして、全国規模で過去のあしき慣習が改められるという結果になったわけでございまして、それはまさに住民訴訟が本来の機能を発揮したということで、これは評価すべき点であろうというふうに考えております。

 しかし、他方、公金支出等の財務会計に先立つ政策それ自体が争われるというふうなケースが出てまいりまして、例えば、これは三セクへの補助の問題でありますとか廃棄物処理場の建設の問題でありますとか、それから公共事業絡みの事件でありますとかイベントの開催、こういった前提になる政策問題というものが争われるということがしばしば起こってまいります。

 それからまた、長や職員が個人として到底負い切れないような、数億あるいは十数億に上る多額の賠償を請求されたり、あるいは訴訟マニアや政争絡みの、この制度の若干の行き過ぎないし乱用というものが行われたりするということで、ややゆがんだ面が出てまいります。自治体の方からは、悲鳴にも似た制度改正への要望が高まってまいります。

 そこで、平成十一年九月に、自治総合センターというところに第二次研究会が設置されることになりまして、見直しへの本格的な検討に入るということになったわけでございます。その結果は、その翌年、昨年の秋ごろにほぼ固まってまいりました。そこで、第二十六次の地制調に報告され、小委員会と総会の審議を経て、昨年の十月二十五日の答申に盛り込まれたということになります。

 そこで、今回の制度のねらいでございますけれども、今回の制度改正に初めから関係した立案者という立場から、まず、その趣旨を明らかにしたいというふうに思っております。

 先に触れました第二十六次の地制調答申は、地方自治の一層のさらなる充実強化を図ることを本旨とするものでありまして、これは御承知のように、直接請求署名要件の緩和あるいは市町村合併特例法への住民投票の導入、そういうものを盛り込むと同時に、住民訴訟制度につきましては、その本質や意義を損なうことなく健全な今後の発展を図るというふうに配慮したつもりでございます。

 地制調に先立つ研究会では、訴訟要件とか訴訟対象とか訴訟類型、乱用防止の方策あるいは四号訴訟については賠償額の限定等々、考えられる、あるいは既に提案されているすべての論点を全部論議の俎上にのせまして、一つ一つ検討してまいりました。それで、基本的には住民自治というものがかつてないほどの重要性を持っているということを重視いたしまして、この制度そのものの根幹を揺るがすような骨抜きはしないという基本方針で望んだわけでございます。

 しかし、四号訴訟につきましては、地方公共団体の政策決定、意思決定の実行として行われるのが財務会計行為でございますけれども、これにつきましては長あるいは職員個人に不法行為等の損害賠償責任というものを負わせることはおかしいのではないかという点で、委員の間にはほとんど異論がございませんでした。

 これを維持するということになりますと、これからの分権の時代、地方公共団体は自己決定、自己責任をしなきゃならないという時代でございまして、しかも、思い切った聖域なき構造改革あるいは行政改革というものをしなければならない。ところが、構造改革、行政改革というのは当然、地方公共団体にも痛みを生ずることになるわけでございまして、そういう中ではなかなか思い切った決断をしなくなるんではないか、重い賠償責任を負わされて決断しなくなるんではないか、こういうことで、やはりその点についてはもっと説明責任を尽くさせるというふうにすべきではないかというふうに考えたわけでございます。

 これに加えまして、国の行政責任者にはこういった制度はないということとか、あるいは国家賠償責任につきましても最高裁判決では直接個人が負うべきではないということになっております。そういうことも考えましたら、四号訴訟をこの際廃止して、三号訴訟に吸収するというふうな案もあったわけでございますけれども、結論としては、地方公共団体の機関である長や職員を被告にするという形に変えまして、四号訴訟は形成訴訟として、地方公共団体が敗訴した場合には、その判決の拘束のもとに、第二段訴訟によってその賠償責任を負ってもらう、こういうことになったわけです。この第二段訴訟では、賠償責任の有無をもう一度蒸し返すということはできませんし、訴訟終了まで非常に多くの時間を要するということもない、これは形式的な裁判であるというふうに考えます。

 そこで、できれば違法な公金支出がなされる前に、事前の差しとめ訴訟で事態を事前防止することが望ましい、そういうことで監査段階で請求人等が関与できるような手続を強化するとか、あるいは監査委員に暫定の差しとめ勧告をするというふうな権限を付与いたしました。また、すべての訴訟類型を通じて、住民が勝った場合には弁護士報酬を請求できるということにしたわけであります。

 これら全体を通じまして、今度の訴訟の改正の四号訴訟も含めまして、この制度を一層拡充し強化する、健全な方向に育てていく、こういうことでこれを立案したわけでございます。これに対していろいろな批判がございますけれども、それにつきましては、もう時間が参りましたので、皆様から後に御質問がございましたら、個別にお答えするということにさせていただきたいと思います。

 これをもって私の公述を終わりたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)

○川崎委員長代理

 次に、鶴岡参考人、お願いいたします。

○鶴岡参考人

 千葉市長の鶴岡でございます。
 本日は、このような機会を設けていただいて、ありがとうございました。地方自治法等の一部を改正する法律案に賛成の立場から意見陳述させていただきます。

 今回の法改正は、地方公共団体の長や職員の個人責任に関する制度の基本は維持しつつ、分権時代にふさわしい住民監視制度の整備等を図ろうとしているものと思います。改正事項のうち、私からは、住民訴訟制度見直しについて申し上げます。

 住民訴訟制度のあり方は長や職員にとって直接のかかわりがある問題ではありますが、そのこととは別に、いわゆる四号訴訟を、地方公共団体の機関を被告として損害賠償請求するよう求める形に改めるという今回の改正は、地方公共団体の自律的責任の明確化と説明責任の強化という点で意味があると考えております。

 現在、四号訴訟で争われている事例のほとんどが団体としての政策判断や業務執行の是非が問われているものであり、本来の当事者は長等の個人ではなく、地方公共団体そのものではないかと思われます。
 ここで一つ、私にとって身近な事例としまして、千葉市の新清掃工場建設に関する住民訴訟を御紹介させていただきます。

 これは、清掃工場の建設に反対する十四人の住民が、建設費の支出が不当であるといたしまして、当時市長であった前市長個人に対し、二百六十三億円を超える建設費の支出相当額の損害賠償を求めているものであります。

 この訴訟は、当初、建設工事をする必要性がないこと、建設に関する契約が違法に締結されたことを理由といたしまして、執行機関であります千葉市長に対し建設費用の支出差しとめを求め、平成四年に提起されたものでありますが、建設費用が支出された後、前市長個人に対する損害賠償請求訴訟へと変更されまして、審理に九年を要しまして、今年、前市長勝訴の第一審判決が言い渡されたものであります。その後、控訴が提起されまして、現在、東京高等裁判所において係属中であります。

 ごみの処理については、各地域内において、ごみの収集から始まり、中間処理を経て最終処分の埋め立てにより完結するものであります。ごみの適正処理を行うに当たり、中間処理施設としての清掃工場は必要不可欠な施設であります。この施設を市が建設しようとする場合には住民の理解及び協力が重要なものとなり、理解や協力を得るには、行政側の施設建設に至るまでの政策決定に透明性が求められます。このため、廃棄物処理法を初めとする関係法律により建設までの手続が定められており、行政側はその手続に沿って着実に実施していくことが必要でありますし、都市計画手続及び環境影響評価手続もその必要な手続の中に含まれております。

 千葉市におきましては、清掃工場等の廃棄物処理施設を建設するに当たり、市の基本計画及びごみ処理計画の中で事前に位置づけをした上で、種々の手続を経て地域住民の理解を得て建設を進めてきたものであります。

 そのごみ処理計画についてでありますが、千葉市の状況をいいますと、人口につきましては、幕張新都心に代表される大規模団地の計画に基づく人口増加、大量生産、大量消費、大量廃棄によるライフスタイルの変化などによるごみの増加があり、市内二カ所の清掃工場で焼却処理をしておりましたが、ごみ量の増加、既存工場の老朽化及びごみ質の変化から、昭和五十二年度から始まる第二次五カ年計画からその後三次にわたる五カ年計画及び個別計画でありますごみ処理計画に、首尾一貫して清掃工場の建設が必要とされていたものであります。

 このように、千葉市における新清掃工場の建設につきましては、これらの計画に首尾一貫して位置づけられたものでありましたが、昭和六十二年の着工後にあっても、当時のごみ減量の施策として、分別収集の計画を盛り込む必要があるとしまして、平成元年六月から学識経験者や市民の代表により構成された検討委員会におきまして平成四年一月まで検討し、新たな分別計画や分別を前提とした清掃工場の施設規模の見直しを行い、議会の議決を得て、平成八年十月に竣工したものであります。このため、着工までに十数年を要したものであります。

 このように、市として、清掃工場の必要性や施設規模、その他周辺の環境に与える影響などを慎重に検討し、決定したものですが、訴訟では、新清掃工場の必要性ということで、その計画決定や政策判断の是非が問われたものでございます。

 少し時間をかけて千葉市の事例をお話ししましたが、全国的にはそのほか、下水道整備、廃棄物処理施設の建設、第三セクターの処理、大学の誘致等、いろいろなケースが争われております。これらは、先ほどの事例でお話ししましたように、議会の議決や審議会等での審議、行政内部での意思決定手続等、地方公共団体としての所定の手続を経た上で実施されております。したがって、これらの是非が争われた場合は、むしろ、当該地方公共団体として住民に対し考え方や経緯を積極的に明らかにする必要があります。いわば説明責任を果たす必要があります。このことは、地方分権の時代となり、地方公共団体の政策判断、意思決定に自由度が増し、自己決定、自己責任の時代に入ったことから、なおさらだと思います。

 一部の方は、今回の改正案について、被害者である地方公共団体と住民同士を争わせるものであるということをおっしゃっているようですが、私は、住民から選挙で選ばれ、その信託を受けて行政活動を行っている者であります。住民の代表者として、その負託にこたえるべく、常に最善を目指して日々の行政活動に取り組んでいますが、住民の皆様の中にはいろいろな意見があり、違う意見をお持ちの方にもでき得る限り理解を得られるよう努めているところであります。

 こうした現実の中で、行政による財務会計行為の違法性等に不満や疑念を抱いた住民が、住民監査請求を行った上で、なお地方公共団体側がその住民の指摘や意見を受け入れず、結果としてその住民にとって満足できる結果が得られなかった場合に住民訴訟が提起されるものであります。

 なぜこのようなことを改めて申し上げるかといいますと、住民訴訟が提起された時点においては、住民の代表者である長や議会が法令に定められた手続に従って政策決定をし、その執行を行っている地方公共団体と住民の判断が相反し、いわゆる対立関係となっているのであり、被害者同士という関係には実態としてもなっていないということを明らかにしておきたいからであります。

 しかしながら、地方公共団体としては、たとえ一住民による指摘や意見であろうと、そのような意見に対し、真摯に説明責任を果たすことが住民自治の見地から望ましいこともまた明らかであります。今回の改正は、こうした実態を踏まえつつ、地方公共団体の説明責任を強化するという要請にこたえているのではないかと考えております。

 現実の審理の過程を考えましても、問題とされる政策決定等に関する文書や資料は当該団体の公文書であり、個人として所有している証拠や資料はありません。したがって、その道路や下水道、廃棄物処理施設等の整備を行うに至った経緯やその必要性に関する資料は、当該地方公共団体が当事者として提出する方が審理を行う上での証拠や資料がより豊富となり、裁判官が事実に基づき的確に判断しやすくなると思います。

 また、住民訴訟の結果は、例えば廃棄物処理施設の整備やこれからどうするかなど、長や職員の個人の問題であるにとどまらず、団体における将来の行政運営や住民生活にも影響を与える場合が多いと考えられます。行政運営に対する住民の信頼にも影響します。この意味でも、単に原告と長や職員個人の間の問題とするのでなく、当該事業に責任のある地方公共団体が当事者の立場に立って充実した裁判を行うことが行政運営上も必要性が高いものと思われます。

 また、仮に裁判の結果として違法であるとされた場合、当該地方公共団体として個人に対し損害賠償を求めることになるでしょうが、それだけでなく、地方公共団体としてその結果を真摯に受けとめ、そうしたことが当該団体において二度と起こることがないように組織を挙げて適切な対応策を講じなければならないものであります。したがいまして、今回の改正は、住民訴訟制度本来の目的にこれまで以上に沿うことになるのではないかと考えられます。

 以上の御説明では、比較的大きな政策争点が争われる例を申し上げましたが、現実の四号訴訟では、市長の就任のあいさつ状の送付、審議会にかかった案件に異議がある者が審議会の出席報酬の支払いについて損害賠償を求めた例、広報紙に原爆の日の黙祷に関する記事を掲載したことが違法として損害賠償を求めた例とか、実にいろいろなことで長や職員が訴えられております。そして、裁判の結果は多くの場合被告側勝訴となっております。

 勝てば責任がないことが明らかになり、弁護士費用も地方公共団体が議会の議決を経た上で任意に負担できる制度もありますが、裁判が確定するまでの間の被告となった個人の負担は、勤務時間中の対応ができないとか訴訟関係の費用の負担をしなければならないとか、現実には大変であります。退職後も裁判をしなければなりませんし、被告本人が死亡すれば遺族が被告の立場を承継しなければなりません。しかも、冒頭申し上げましたように、ほとんどの場合、事案の内容は個人的なものではないのです。

 私は、今回の改正案は地方公共団体の機関を当事者とするもので、これは、冒頭から申し上げておりますように、充実した裁判にすることなど、いろいろな面で望ましいと考えております。また、これにより住民が訴訟により争う道が何ら狭められるわけではありませんし、むしろ、今回の改正では、一号訴訟の対象範囲の拡大、弁護士費用の公費負担の拡充など、住民にとってもプラスになる措置が取り入れられております。

 住民訴訟制度の改正について意見を申し上げさせていただきましたが、本法案にはこれ以外にも、直接請求の要件の緩和、住民監査請求制度の充実、中核市の指定要件の緩和などの改正事項が盛り込まれており、地方分権のより一層の推進のために、いずれも改正を行うことが妥当と考えております。以上のようなことから、今回の改正案につきましては、十分御理解をいただき、できるだけ早期に成立させていただきますようお願い申し上げる次第であります。ありがとうございました。(拍手)

○川崎委員長代理

 次に、福井参考人、お願いいたします。

○福井参考人

 政策研究大学院大学の福井でございます。
 総務委員会にお招きいただきまして、まことにありがとうございます。

 私は、改正案のうち住民訴訟改正部分については反対という立場から意見を申し上げたいと思います。

 地方分権の本旨は、権限、財源を地方に移譲して、きめ細かい住民サービスと地域の発展を促すことにあるわけでありまして、首長などの自治体の幹部は、以前にも増して倫理的、法的責任が求められることになります。逆に、責任が軽くなるということでは、強大化する権力の歯どめがなくなり、腐敗と住民無視が助長されかねないわけでございます。

 自治法に基づく住民訴訟は従来、談合や不正経理など自治体の財政上の違法を是正する上で大きな役割を果たしてきております。現実に、住民勝訴例につきましては、議員野球大会、架空の接待、公有財産の格安売却、私有財産の高価買い上げといった首をかしげたくなるものが累々と並んでおりまして、最近五年間でも、こういった勝訴や和解など実質的に住民側の言い分が認められたものは住民訴訟全体の一〇%を上回っております。一部で言われるような乱訴にはほど遠い実態であります。

 九四年度から九八年度にかけて提起された住民訴訟件数がふえていると言われますが、八十九件が二百六十一件になったにすぎないわけであります。自治体の総数が三千三百、歳出純計が九十八兆円という巨大な部門での総計でありますから、四千億円近くの公金について一件しか起こっていないということで、首長等の負担が重過ぎるという議論が果たして広い支持が得られるものでしょうか。

 ところが、現在、審議中の改正案では、個人の首長ではなく機関の首長が被告になるということでありまして、これは、過度に慎重になって業務に事なかれがはびこるのを避ける目的があるとお聞きしています。また、被告が敗訴しても、損害賠償をさせるためには、監査委員が個人としての首長等を相手に新たに訴訟を提起する。また、談合業者など直接損害を与えた業者を被告にすることも禁じられることになります。こういった点には問題があり、慎重な検討が必要と考えております。

 第一に、住民訴訟は、首長等が住民全体に損失を与えたという事実がまず前提にあります。原告の住民は、自治体の利益を代弁する代理人としての立場に立ちます。その意味で、本来、被害者同士である住民と自治体の関係があえて敵対関係の構図に置きかえられるということは奇妙であります。被害者である自治体も、訴えられれば理由のいかんを問わず正当化するということは、公的機関あるいは訴訟担当者の職責でもあるわけです。

 私自身、建設省の職員として、成田空港訴訟、長良川水害訴訟を初め行政庁側の被告代理人を多数務めてきましたが、被告代理人の職責は、およそ原告の訴えが不適合である、あるいは理由がないといったことを不利な証拠をあえては提出しないことも含めて徹底的に主張することであります。しかも、行政庁の負担はすべて納税者により賄われておりますから、裁判の長期化は痛痒がないという事実もございます。仮に違法が存在していても、それが法廷で発見される確率は行政訴訟一般に非常に低いというのが残念ながら実態でございます。

 住民訴訟と類似する私企業の株主代表訴訟というのがありますが、これにつきまして、加害者、すなわち、取締役等の負担軽減を目的として、会社と株主という被害者同士を争わせるのが適切だという議論はないわけでございます。これと共通して申し上げますと、住民や株主から業務を任された首長や取締役の責任は、組織ではなくて個人としてのものであります。

 ちまたで政策判断について個人で裁判を受けるのはおかしいという議論もありますが、住民訴訟は管理をゆだねられた従業員たる首長等が起こした個人的な不始末の責任を追及するものにすぎません。だからこそ、改正案でも究極の賠償主体は首長等個人とされているのだと理解しております。

 これまでにも政策判断固有の是非はもちろん争われたものはございますが、それを理由として住民側が勝訴したという案件は絶無でございます。しかも、自治体の場合、首長等の報酬は住民から強制徴収された税金で賄われており、民間の役員よりも公金で賄われる首長等の責任が軽いという理屈は見出しがたいと考えます。

 住民訴訟の改正の方向には、大きく、首長等個人が被告となっている現行の枠組みは変えずに、まじめに職務を遂行される首長等の負担が過重とならないように措置するという改正の方向もあり得ます。それからもう一つは、個人としての応訴負担を一切発生させないようにするため、被告をそもそも機関としての首長等に切りかえてしまうという今回の案のような方向もあります。

 こういう被告を変更するという方向についてですが、メリットとしては、確かに、首長等が一切訴訟事務から解放されるために煩わしい手間がなくなるという点はもちろんございます。しかし、デメリットとしては、いかなる個人不祥事、例えば横領行為や背任行為も含めて、すべて自治体が組織を挙げて個人の首長等のために応訴をするという構造ができ上がってしまうという点であります。

 民事訴訟法上も行政事件訴訟法上も、被告は、自己に有利な証拠や資料を相手方に開示する法的義務は一切存在していません。存在している資料について存在していないと証言するようなことがあれば、偽証罪に問われるだけであります。

 また、証拠や文書については、およそ真実を明らかにする上でどのような証拠が存在しているのかは、行政庁の内部職員以外は知り得ない立場にあります。もし具体的な証拠や文書を原告側が特定できているのであれば、文書提出命令等によって法廷に提出させるということも可能でありますが、問題はそのような場面で発生するのではありません。いかなる証拠や文書がその事件に関連してそもそも存在しているのか否か、存在しているとしても、それは何かということがわからないことが多いわけであります。

 自治体との関係で原告に敵対する被告という位置づけを与えられてしまうのであれば、訴訟法上想定されておりますように、被告側から自己に不利な主張、すなわち、原告側に有利な資料等が提出される可能性は、残念ながら極めて小さくなるわけであります。違法の要件などが実態的に内容に変更がないとしても、攻撃防御の観点から、自治体が被告に変更になるということは、実質的に真実の究明を妨げる効果を確実に持つことになります。

 このような弊害を残したままで、これまでにもある違法支出の是正がこれまでどおりなされるということは困難と思われます。被告を変更することを前提とする以上、腐敗防止に寄与してきた住民訴訟の実を維持するということは極めて困難ということであります。

 第二に、改正案では、首長等は、弁護士費用を初め訴訟に関する金銭、労力的な負担をすべて自治体、すなわち、住民に負わせて争うことが可能となります。これは、加害者が被害者の負担で我が身を守るということにほかならず、一方、原告の住民は手弁当のために、両者はおよそ対等性を欠いてしまうという問題点があります。

 第三に、勝訴した場合、首長等の弁護士費用は個人負担とならないよう現行法でも措置されています。そのような意味で、みずからに恥じるところのない首長等が恐れることはないと考えられます。

 本人が死亡した場合、遺族が困っているという事例を法改正の理由に挙げる向きもございますが、そういうことであれば、むしろ賠償責任保険や賠償限度額を導入するという措置の方が直接対応した対案になろうかと思います。今般の改正案が仮に実現しても、何億も命じられたという賠償責任のその金額や負担が軽減されるわけではないということも御留意いただきたいと思います。

 第四に、住民の貴重な財産を回復する機会や権利を実質的に狭める機能を持つということであります。これは、規制改革や司法改革の流れにも逆行するおそれがあります。このような改正で実際上利益を受けるのは、攻撃防御の観点から見て、無尽蔵の訴訟資源を投入できる、むしろ、違法支出に覚えがある首長等となってしまう可能性も大きいわけであります。

 首長等は、現在でも政策判断の是非で責任を問われることはございません。最終的には、そういった訴訟はすべて被告側勝訴に終わっております。また、過大な負担が問題だということであれば、むしろ、住民訴訟の対象には政策判断を固有に争うような内容は含まれないのだということを確認する規定を置くのが筋だと考えます。

 第五に、誠実に職務を遂行する首長等に配慮することは極めて重要でございまして、その点、法の前提となる目的には私は全く異存はございませんが、そうであれば、より適切な対案があり得るかと思います。それを提示したいと思います。

 具体的な法改正事項としては、一つ目は、原告取り下げの場合の首長等に対する弁護士費用の負担制度を導入するということです。

 現在は、被告側が勝訴したときのみ弁護士費用が自治体から支出されますけれども、原告が一方的に訴訟を取り下げた場合についても、被告側がクロであると確定したわけではありませんから、このような場合についてまで個人に弁護士費用を負担させるのは酷であると考えられます。したがって、被告の違法是正措置を伴わない原告の訴訟取り下げの場合については弁護士費用は自治体負担とするという措置は、十分妥当性があると考えます。

 二つ目は、賠償限度額の設定であります。
 現在は、財務会計上の違法支出があると認定された場合に、それによって生じた自治体の損失は、いかに巨額になろうとも全額賠償を命じられる建前であります。それは、今般の改正案が通ったとしても、その実態に変更はございません。

 しかし、軽過失のものも含めてこのような巨額な賠償を背負うこととなるのは、当人に酷、あるいは遺族に酷という場合があり得ると思います。故意または重過失の責任についてはこれまでどおり全額賠償とするものの、善意で軽過失の首長等については、原因となった行為を行ったときの、例えば年収の四倍から六倍程度の賠償限度額を法的に導入する、こういった措置が十分考えられるかと思います。

 なお、現在も、会計担当職員の賠償義務は故意または重過失のあるときのみ発生しているという立法例もございます。
 六倍の根拠は、通常、一般人の住宅取得価額の年収に対する限度倍率が約五倍と言われていますが、それよりも若干高い倍率を、軽過失とはいえ、損害を発生させた首長等に命じるということは、国民感情にもそぐうものと考えられます。

 ただし、首長等に違法支出の利益が存在する場合にはこれを全額返還させるべきでありますし、また、談合企業など第三者に利得させた場合には、その第三者がいかなる場合も賠償義務を負うということは当然の前提だと思います。

 三つ目は、自治体の情報提供義務の創設であります。
 自治体による訴訟参加の有無を問わず、自治体は当該論点に関する証拠や文書を裁判所に提出する実体上の義務を負うということを、むしろ法改正で明文化するのが妥当だと考えます。

 もちろん、このような実体上の義務が導入されたとしても、その取捨選択の第一次的判断権者が依然として自治体である以上、これで証拠提出が完全に図られるということは考えられませんので、あくまでも補助的手段ではありますが、むしろこういった実体上の義務が訴訟資料、真実を明らかにする上で有効だということは明白だと思われます。

 四つ目は、政策判断を争うことは不適法であるということを条文に明記することであります。
 例えば、公共施設の立地選定で事業費の多寡が生じるケースで、仮に高い事業地を選定したとしても、政策的に正当な理由があるという場合はあり得ます。このような場合に住民訴訟の対象たるべきではないということもまた当然であります。また、赤字の事業に対して補助金を支出したとしても、あるいは当該事業を継続させたとしても、それが政策的に正当である場合も多いにあり得るかと思います。こういった場合など、財務会計上の違法には該当しない政策的な判断を争うものについては、不適法であるということを明記する道もあり得るかと思います。

 次は、法改正以外の措置としては次のようなことが考えられると思います。
 一つ目は、損害賠償責任保険制度の支援ということであります。これも、国や自治体が首長等に対する民間の保険加入を奨励するということは十分可能であります。株主代表訴訟でも、実際上、こういった賠償責任保険の導入が図られつつあります。

 二つ目は、共済制度であります。賠償責任についての共済制度を関係機関により導入する、こういうことも考えられるかと思います。

 三つ目は、情報交換の組織であります。自治体間の情報交換や連絡によって違法の発生を未然に防止するために、当事者がこういった協議会を設立するとともに国が支援する、こういった形もあり得るかと思います。

 以上が私の意見でございますが、最後に、配付させていただいた資料のとおり、ジャーナリズムの論調は、社説、論壇等を含めて、圧倒的多数が被告の変更には問題があるという立場でございます。

 また、お配りしたメッセージでございますが、日本の憲法、行政法研究者の大部分が加入する日本公法学会会員の中でも一級の業績を持つ百数十名の専門家が、やはり被告の変更を問題視しております。

 国会におかれては、法治国家の最高機関としての見識に照らして改正案を再検証していただき、ぜひ良識にかなう措置をとっていただきたいと思います。批判が多い無理のある改正案の当該部分、住民訴訟部分を急いで成立させる必然性は少ないと思われます。どうか本当の地方自治の定着を応援するための措置を衆知を集めて御検討いただければと念じております。
 以上です。(拍手)

○川崎委員長代理

 次に、森参考人、お願いいたします。

○森参考人

 市町村合併特例法の一部改正についての意見を申し上げたいと思います。

 合併というのは、行政区域の変更であるというような感じが表に出てきておりまして、そして行政の効率性、行財政基盤を強化する利益、メリットがある、こういうふうになっておりまして、現在、全国的に合併の促進が行われているところであります。

 今回のこの一部改正についての問題点と申しますのは、住民が合併協議会の設置を発議しまして、その発議したものを、協議会設置を当該議会が否決したときには、長または六分の一の連署で住民投票を行える、そういうことになりまして、そして住民投票を行った結果、過半数の賛成があったときには、議会が議決をしたものとみなす、こういうふうになっているわけであります。

 しかしながら、議会が、当該自治体市町村が議決をしていない、否決したものを、住民投票の過半数によって議決をしたものとみなす、していないものを議決したものとするという改正案であるわけですね。これは憲法九十三条で、つまり、日本の都道府県、市町村という地方自治体は、議会によって意思を決定していくという議会主義を、議会制度を原則として規定しているわけでありまして、それを、今回の合併特例法の一部改正によって、議会が決議をするものを住民等の過半数によって議決をしたものとみなすということは、議会制度を否認することになるのではありませんか。つまり、していないものをしたというような法律をつくってまで合併促進を進めようとするその意図を、法改正に当たって各議員の方々は考えていただきたい、こういうふうに思います。

 憲法の定めておりますのは、自治体は二元代表制でありますから、議会制民主主義と言うよりは代表制民主主義と言うべきでありますが、代表制民主主義の原則を憲法が定めているわけでございますので、この原則を覆すようなことを、いかに合併を促進したいといっても、一部改正でそのような法律を通すということは憲法の基本原則に反するの疑い十分これあり、こういうふうに思います。

 つまり、目先の考え方で、つまり、経済というものは大きく動いていくわけでありますから、アメリカの影響を受けて、日本も今大変不景気でありますけれども、やはり経済というのは、皆お互い努力をして、また好転する場合もある。ところが、大変な借金をしょっているものだから、聖域なき構造改革と称して、きのう等のニュースを見ますと、半世紀続けてきた社会保障費まで本人負担にする。背に腹はかえられないではないかという小泉さんの意見のようでありますけれども、半世紀かかって営々として築き上げてきた社会保障の制度を簡単に崩してよいのかという問題もあります。

 しかし、長らく、半世紀かけて自治というものをそれぞれつくり上げ、それぞれ苦心をしながら、主権者である地域の住民の意思に基づきまして、住民投票条例というものを困難をきわめながら制定し、住民投票によって住民多数の意思を表明することによって、地域の将来方向を住民が定めていくということの自治の歴史があるわけです。

 今回の改正案は、住民発議によって協議会を設置する、これは非常によろしい、これはよろしいのではないかと私は思います。さらに、自治体議会が決定したことについて、六分の一以上の住民がそうではないのではないかというふうにして住民投票にかけることを連署によって求めていく、この制度の創設も悪くない。半世紀にわたって地域で営々として築き上げてきた住民自治、それに基づく住民投票の考え方、制度、つまり、住民自治を強めていこうという方向が盛り込まれているものであるから、それはよろしいように思います。

 しかしながら、冒頭申し上げましたように、議会が議決していないものを法律によって議決したものとするというのは、憲法によって各自治体では議会制度をつくって、それを基本に運営していこうということを憲法原則に掲げているわけでありますから、これを否定することは国法としておかしいのではないか、十分慎重な御配慮を願いたいというふうに思います。

 そのことを前提にして、さらに進めて、バランスのある、将来を展望した判断をこの法一部改正の中でぜひ議論をしていただきたいというふうに思います。

 それはどういうことかといいますと、議会が協議会を設置するのに基づいて、あるいは、さらには経過を経て合併を決議したというときも、この場合も住民の六分の一の連署による請求があったときは住民投票にかけるというふうなことをあわせて入れるべきではないか、こういうふうに思いますね。

 つまり、これは憶測になるかもしれませんが、合併協議会の設置までこぎつけていけば、後は、今回、委員は合併促進を推進している方を委員に入れることになって、後は峠を越えたというように思われるのですね。問題は、要点は、合併というのは行政区域の変更ではなくて住民の自治区域の変更であるわけでありますから、法案の説明にありますように、住民の意思を尊重するのだ、これは結構であります。であるならば、合併の問題について、六分の一以上の住民が連署で住民の意思を聞いてもらいたいというような請求をした場合には、もっと重要な意味合いにおいて住民投票に付するべきではないでしょうか。これが論理というものだと思うのですね。

 合併協議会の設置については、住民投票によって議会の議決を覆すようなことを今回の改正で考えておきながら、最終的な合併の決議について、住民の多数に異議ありというような場合に住民投票を考えておかないというのは、冒頭のこの法案の趣旨のところに偽りありと言われてもやむを得ないのではないかと思いますね。だって、合併の決議の方が事の重大があるわけであります。

 でありますから、私が言いましたように、住民発議によって事柄が始まり、議会の決議といえども住民の多数の意思によってどこにあるかを見定めるということは、住民自治原則によっていることでありますから、それは結構だと思う。しかしながら、他方では、憲法で議会制度を創設して基本原則等を掲げているわけでありますから、みなすというわけにはまいらないのではないか。

 であるならば、合併協議会の設置のみならず、合併を決議したことに対しても異議ありという住民の多数による住民投票の請求に対しても、それぞれ議会の決議と違った住民の多数意思が表明された場合には、議会制度とのバランスをとるために議会が再議をする、改めて議論をする、当然、住民多数の意思を尊重して議会が決定をする、こういう制度をつくっておきますならば、憲法原則を否認せず尊重しながら、住民の意思をできるだけ取り入れていこうという、直接請求といいますか、住民自治の原則を尊重してこれを高めていくことになる、こう思いますね。

 そして、議会あるいは首長が、住民の多数意思であっても、自分の公約等によって、あるいは議員として得た知識によって、住民多数の意思と違ったことを決議する場合もあるでありましょう。しかし、これはあくまでも例外的でありまして、議員というものは、議会というものは、住民によって議会の権限を信頼委託、信託されたものでございますから、自分に権限を渡した、信頼委託した住民の多数の意思に従って、尊重して決議するのが一般的な場合でありましょう。

 しかし、場合によっては違う場合もある。そこで、そのときには住民自治の原則はどういうことを考えていくかということになると、既に自治法等でも規定をしておりますように、議会の解散請求ということになる場合もありましょう。あるいは、首長が決定した場合であれば、首長のリコールもございます。巻町原発等のときはそういうことになりましたし、それから、吉野川河口堰の場合には、徳島市議会では住民の請求を否決しましたけれども、直近の選挙におきまして議会の構成員を取りかえました。

 つまり、これは住民自治の発露なんですね。最終的には住民の多数の意思で決めていくということが原則でありますけれども、議会制度を採用している以上は、議会制度とのバランスをとっていくというふうに考えるべきである、こういうふうに考えるわけでございます。

 それから、憲法九十二条では、地方自治の本旨に基づいて組織及び運営を法律で決める、こう書いてございます。しかし、半世紀たちました。当初は、これだけの、現在ほどの住民自治、自治制度、住民投票条例の制定などというようなことは、夢にも、想定だにできなかったのではないでしょうか。しかし、五十年の経過の中で、日本の各地で自治の絶え間なき努力がありまして、制度、条例の制定も進み、この法案についても、地域における住民投票、住民運動、住民自治の成果をこの法案の中に盛り込んでいるということになっているではないですか。

 したがいまして、地方自治の本旨というのは、通常は団体自治、住民自治といいますが、団体自治は分権、住民自治は参加でございますね。それで、今回の地方分権推進委員会で制度分権はなされた、そして、明治以来続いてきた機関委任事務という統制も外した、大変結構でございます。この次は住民自治、つまり参加、参加を充実していくということ、国政にかかわる方々が望んでそれを求めていくべきではないでしょうか。

 つまり、自己決定、自己責任というのは、ただまくら言葉で言うことではなくて、不断の努力をしながら、いろいろな条件を乗り越えながら自己決定、自己責任をしていくものである。であるならば、半世紀経過しました地方自治の本旨というのは、例えば代表制議会主義をとる、代表制の制度をとる、あるいは自治権は住民にあるという原則を緩めてはなりませんけれども、具体的な地方自治の制度あるいはその運営につきましては、自治、すなわち、それぞれの地域でそれぞれの実態に合わせて定めるという方向を考えていくべきではないでしょうか。

 ということは、中央政府の法律で一律に制度を定めるものではなくて、地域の自治の実態に合った、自治の展開というのは多様でさまざまな展開があるわけでございますから、そういう地域の実情に応じて自治体で細かな具体的なものは定める、国法は準則という方向に向かっていくべきだと思うのですね。

 つまり、地方自治法を定めましたときには、当時は、戦後、全国的な一律の制度というのが長い内務省支配でありましたから、そういう慣行があった。それから、新しい自治の制度の出発でありましたから、いたし方ないこととして自治法で細々と規定をしている。

 多くの人が指摘をしておりますように、現在の地方自治法は、こんなことまで決める必要があるのか、しかも、全国一律に決める必要があるのか。北海道でいえば、音威子府のように一千人ちょっとのような村でも、札幌のような政令大都市、百八十万の都市でも、教育委員は全部五人いる、すべて同じ制度ですね。それは、自治のスタートをした半世紀前はいたし方がなかったかもしれない。今日のような自治の充実、成熟がある段階におきましては、それぞれの地域の実情に応じて決めるという方向を国政の場にいられる方はお考えになるべきではないのか、こういうふうに思いますね。

 それから、時間の関連もございますので、最後に申し上げたいのは、府県はこれから何をするのか。各省縦割りごとの機関委任の担当の代官の仕事をしていたわけでありますよ。それが機関委任事務が解けた、府県はこれから何をするのか。それは、国の代官ではなくて、自治体、市町村の側に立って、したがって、県庁などでは市町村課というふうな名前に地方課を改めているではないですか。つまり、市町村の側に立つ。

 そのときに、私も先日、秋田県のある町へ行きましたけれども、福島県の矢祭町などでは断じて合併はせぬという宣言をしたというのを、新聞をそこの場所で拝見しましたけれども、山の向こう側にある村、川の向こう側にある町と合併をさせられる、させられるということが生じているのであります。

 自治を強めていこうというならば、そういうふうなことを一律に強行するのではなくて、小規模の自治体は過疎が進み、少子高齢化でありますから、小さな人口の自治体が出てきます。その自治体が自治がやれるように府県が補完をする、この仕事とこの仕事については県でやっているのを返上したい、やめるというようなこともあっていい、自治の制度は多様に定める。そういう方向をぜひこの国会の中で御審議願いたいということを申し上げて、私の意見にかえたいと思います。(拍手)

○川崎委員長代理

 以上で参考人の意見の開陳は終わりました。

以上