トップページに戻る    党員・サポーターの皆様へのメッセージ


2002年12月24日

総支部所属の党員・サポーターの皆様
民主党奈良県第2区総支部長
衆議院議員 中村哲治



党員・サポーターの皆様には、9月の代表選挙後から大変ご迷惑をおかけいたしました。党所属国会議員の一人として、まず、お詫びを申し上げます。特に、9月の代表選挙は皆様のご参加の下で行われたものであったにもかかわらず、選ばれた代表が辞任し、新しい代表を皆様の参加なしに国会議員だけで決めたということは、その手続きが党規約に基づくものであったとしても、ご説明なしに理解していただけることではありません。申し訳ありませんでした。

また、12月10日に新代表が決まってから、すぐにご説明を申し上げるべきところでしたが、今日まで遅れてしまったことについても、お詫びを申し上げます。私としては、新体制の下での私の役割も決まってからご報告をしようと考えておりました。しかし、その後、いわゆる「保守新党」の問題も生じ、全てが決まるまで待つと年明けになってしまう。年末までに現状をきちんと皆様にご説明を申し上げなければならないと考えましたので、本日、皆様にお手紙をお送りすることといたしました。

「鳩山おろし」について

マスコミ報道によると、民主党のいわゆる「若手」国会議員が「鳩山おろし」に加担したと言われています。私の地元事務所にも「中村さんも荷担したのか?」と厳しい口調でおっしゃった方がいらっしゃいました。

私も、党所属国会議員としては3番目に若い議員なので、まぎれもなく「若手」議員です。しかし、若手議員ということでひとくくりにされるということにも疑問を感じていますし、若手議員の全てが鳩山代表(当時)の辞任を積極的に求めて行ったわけでもありません。

この件については、まず、9月の代表選挙後の私のスタンスをきちんとお伝えする必要があると思います。
私のスタンスは、「選挙で代表が選ばれたのだから、経緯はともかくとして、その代表の下できちんと組織を運営していく必要がある」というものでした。正直なところ、当初は消極的な気持ちもありました。しかし、天に唾するようなことは、総支部の長として所属の党員やサポーターの皆様に申し訳がないと思いました。

そのため、私は積極的に党務に携わりました。具体的には、党務の実務の核である「総務局」の次長を命じられたため、主に党の情報化を担当するなど、党組織の改革に取り組んでまいりました。(総務局は、岡田克也幹事長代理(当時)や原口一博総務局長(当時)の改革姿勢を実行するチームでした。)その他にも、「男女共同参画委員会」や「国民運動委員会」の副委員長としても党務を担い、10月の補欠選挙では、地元にも帰らないで選挙の応援に奔走しました。

また、政策分野では総務部門に所属し、衆院委員会での質問は毎週やりましたし、党内での議論でも情報政策や地方分権などのワーキングチームを担当するなど、鳩山新体制の下で党所属国会議員として政務もしっかりやったという自負があります。

鳩山代表(当時)に望んだこと

ただ、私が代表選挙後から何も発言しなかったのかといえば、そうではありません。この間、私が鳩山代表(当時)に望んでいたことは、「もっと自信を持って力強くメッセージを発して欲しい」ということでした。そのことを、機会ごとに明確に、私なりに鳩山代表にお伝えいたしました。

私たち総務局所属の議員が、いくら地道に党務の改革に取り組んだとしても、地味な改革の効果が出てくるまでには時間がかかります。私たちが行う実務での改革とは別次元の役割として、組織のトップである代表には、力強くメッセージを発し、ついて来ている者たちを勇気づけ「やる気」にさせなければならない役割があります。

マスコミでは、今回の騒動の原因は、鳩山代表が中野幹事長を指名し、その人事に対して党内から反発の声が出たことにある、と伝えられています。しかし、私が考える本質的な原因は、幹事長人事そのものではありません。むしろ、その後の3日間、残りの人事ができずに「空白の3日間」を作ってしまったリーダーシップの欠如にあったのだと考えています。

10月27日の統一補欠選挙での惨敗の結果も、有権者が小泉首相と鳩山代表を比べて、北朝鮮でまがりなりにも決めてきた小泉首相と、「今日も決められなかった」と3日間続けて報道された鳩山代表の、どちらが「国を率いるリーダー」としてふさわしいのかを判断なさったことが一因として現れたのではないか、と私は分析しています。

そのことも、鳩山代表に直接、率直にお話させていただきましたし、その上で、代表には指導性を発揮していただきたいという思いでいました。しかし、そのことがかなわないのならば、自ら辞任なさることも仕方ないという思いも確かにありました。

党の再生に向けて

結局、鳩山代表は、潔く辞任なさることになりました。鳩山代表の勇断としての決意の重さを感じ、新代表の下での党の再生に向けて、私も、引き続いて努力する決意をしました。
その後、12月10日の両院議員総会で新代表が選出されました。民主党所属国会議員183人全員が投票し、その結果、菅直人候補104票、岡田克也候補79票となり、菅さんが新代表となりました。

私自身は、岡田さんに投票しましたが、この結果は、党の現状を端的に示しており、「まとまる」という意味でベストの結果だったと思います。

保守新党について

12月13日は、新代表の下での新人事が発表され、新生民主党の船出となる日でした。その日から表面化した「保守新党」の動きは、非常に残念です。

この新党構想は、熊谷弘(くまがい・ひろし)衆議院議員が中心となり、彼に近い民主党議員を引き連れて与党である保守党と合流するという構想です。現行法上、比例区議員が党を移れば議席を失うことになっています。そのため、形式的には、合流ではなく新党を結成するという形をとるということです。
しかし、この新党構想には、全く大義名分がありません。私の目から見れば、個々の離党者が自民党との選挙協力を目的とする生き残り策にしか見えません。

もし、あらかじめ離党するつもりであったのならば、代表選挙に参加して投票すべきではなかったでしょう。また、岡田さんに投票していたとしても、岡田さんが党ナンバー2の幹事長に就任しているのだから、岡田さんを通して自分の意見を党運営に反映していけば良いはずです。

「自分の思い通りにならなければやめてしまう」ということでは、政治家として、非常に無責任です。私たちは、自民党に変わりうる勢力を、苦しみながらも作ろうとし続けてきたのではなかったか。私も、新生党・新進党という保守系政党の党員でしたし、保守系の先輩議員から「奈良に帰って来い」と言われ候補者となった経緯もあります。そういう私でも、彼ら離党者の判断は理解できません。「私が民主党である」と思い、所属の党員・サポーターの皆様のことを思えば、勝手なことはできないはずです。本日離党届を提出し、保守新党に参加することとなった民主党議員が4名に止まったのも、大義名分がないからに他なりません。

私は、「最後までこの党でがんばりたい」という思いを新たにしました。一昨年の総支部長就任挨拶でも述べたことですが、すでに時代は右左のイデオロギーを超えた真の民主政治を求めているはずです。まだまだ不十分な民主党と総支部長ですが、引き続いてのご支援とご鞭撻をよろしくお願いいたします。

以上